校長室より

2025/06/23
稲の中干し
6月中旬から下旬にかけて、田んぼが干からびて地面がひび割れている様子が見られます。この状態が1週間から2週間続くと、青々としていた稲の葉っぱが水分不足で黄色くなっていきます。となりの用水路には水がたっぷりと流れているので、すぐに水を補給することができるのですが、田んぼの取水口はかたく閉じられ、一滴も入らないようになされています。このように田んぼの地面を乾かすことを「干す」とよび、この時期に田んぼを干すことを「中干し」とよびます。いったいなぜ「中干し」が行われているのでしょうか。

「中干し」は稲にとってたいへん大きなストレスになっていることは間違いありません。夏の日ざしがふりそそぐ気温が高い時期に、満々と張られていた田んぼの水が急に干上がるのですから、稲にとって衝撃的な出来事だといえます。しかしながら、農家の方はわざとこのような環境をつくりだしているのです。
稲は急に水がなくなると、なんとか生きのびようと根を深く伸ばしていきます。また、余計な細い茎の発生を止めて太い茎をかたく作り変えていきます。このように、「中干し」によって根を深く伸して肥料をよく吸収するようになります。また、簡単に倒れない頑丈な茎が作られるようになります。「中干し」が終わると、田んぼには満々と水が張られ、7月になれば茎の中に稲穂ができ始めます。「中干し」の厳しい環境を乗り越えた稲が、品質のよい美味しいお米を作るのです。

「苦労は買ってでもせよ」ということわざがあります。「中干し」を経験した稲が美味しいお米をつくることと同様に、若いときに困難な経験を積むことは自分の成長につながっているということを示しています。中学生時代は大切な青春の時間です。困難に立ち向かい夢に向かって進んでいきましょう。
2025/06/17
蛍(ホタル)の夜
今年も夜が蒸し暑くなってくるタイミングで蛍が飛び交うようになり、たくさんの蛍を見ることができました。たった一匹でしたが、小川から遠く離れたわが家の庭にも蛍がやってきました。きっと新天地を夢見て豊かな小川を探しているのだと思います。

思い出してみると、近所には見た目は同じなのに、蛍がいる川と蛍がいない川がありました。蛍がいない川の共通点は稲作が終わるのにあわせて水門が閉められていたことです。つまり、夏に蛍の成虫が飛び立つ際に必要な環境があっても、たとえ短期間でも蛍の幼虫が生育できる環境がなくなれば蛍は生きていけないのです。

蛍といえば、清少納言の随筆「枕草子」の一節が有名です。「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。(現代語訳:夏は夜がよい。月の明るい頃は言うまでもない。月の出ない夜でも、蛍が多く飛び交っているのはよいものだ。また、ほんの1匹か2匹が、ほのかに光って飛んでいくのも情緒がある。雨が降るのも情緒がある。)」。

また、蛍といえば「蛍雪(けいせつ)の功」という言葉も有名です。「蛍の光、窓の雪」と歌った方も多いのではないでしょうか。この「蛍の光」は、中国古典「晋書(しんじょ)」に由来します。油が買えないまずしさの中でも、勤勉な人が袋に入れた蛍の明かりで、夜通し勉強したという話です。苦労しながら勉学にはげむことは、いろいろな例を交えて重んじられています。
2025/06/09
磨針峠(すりはりとうげ)
滋賀県立近代美術館で小倉遊亀画伯の日本画を鑑賞しました。小倉遊亀画伯は大津市中央にお生まれになり、文化勲章を受章され、大津市名誉市民として表彰されている日本を代表する女流画家です。

絵を見てぞっとした感覚は初めてでした。「磨針峠」の何も描かれていない絵の中の空間から怪しいものが伝わってきました。しかし、じっくりと見れば見るほど怪しいものが神々しい何かに変わっていくのです。想像力がかきたてられて細部までよく見ると、白髪の老婆の何とも言い表せない表情と若い僧侶の思いつめたような表情とが無言で会話しているようで、それぞれの立ち位置の陽と陰がつながっていくように感じました。

不思議な感覚にとらわれて磨針(摺針)峠について調べてみると、この峠は滋賀県に実在していることが分かりました。峠は山道を登りつめてこれから下りになるという境ですから、若い僧侶はいよいよ違う景色にさしかかる境界で白髪の老婆と出会ったことになります。そして、このような山奥で老婆がたった一人で薪を割る斧(おの)を砥石で磨いているのは不自然ですからこの老婆は人間ではないことが感じられます。
さらに磨針峠について調べてみると、若い僧侶が日々の厳しい修行から逃げ出そうとしてこの峠を越えようとした時、斧を石ですっている白髪の老婆に出会ったという言い伝えがありました。若い僧侶が何をしているのかを尋ねたら、「針がないので、斧をすって針をつくっている」と答えられたそうです。この若い僧侶はなまけようとしていた心を深く反省して修行に励み、後に弘法大師になったと伝えられています。

弘法大師は次のような歌を詠んでいます。
道はなほ 学ぶることの難(かた)からむ 斧を針とせし人もこそあれ
中学生時代は大切な青春の時間です。夢に向かってあきらめずにコツコツと進んでいきましょう。
2025/06/06
カモの水かき
琵琶湖で群れをなして泳ぐ水鳥の姿を多く見かけるようになってきました。いろいろな水鳥に混じってカモがすいすいと泳いでいます。湖岸から見えるカモは平然と泳いでいるように見えますが、実は水面下で足を懸命に動かしているそうです。
のんびりと水に浮かぶカモも、水面下では絶えず足で水をかき続けているように、上手に物事を進めている人にも人知れない苦労があるのです。外からよく見えるのは結果ですが、その結果は見えない努力から生み出されたものだといえます。

アテネオリンピックで有名になった「栄光の架橋」の歌詞では、他人の目には映らない自分しか知らない挫折や壁をも「悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある」と包み込んでくれます。他人には見せないだけで、誰もが悔しさや怖さ、そしてもどかしさを感じるときがあります。

中学生時代は大切な青春の時間です。夢に向かって大きく花開くための準備を始めていきましょう。
2025/05/28
A+B と B+A は同じ?
問題集を見ていると次のようなものがありました。
「5gの水酸化ナトリウムに、何g(mL)の水を加えると、5%濃度の水溶液ができますか。(答え 95g)」
私の専門は理科なので、この問題にとても驚きました。水酸化ナトリウムは薄い水溶液でもたいへん危険なので、水酸化ナトリウムの粉を生徒の皆さんが授業で直接あつかうことはありませんが、私が驚いたのはもっと別の理由です。

生徒の皆さんは、水酸化ナトリウムに水を加えることと、水に水酸化ナトリウムを加えることは同じだと思いますか。

実は、問題集のような順序で、水酸化ナトリウムに水を入れてしまうと大惨事になります。入れた水がいっきに沸騰して、まわりに濃い溶液が飛び散ってしまうのです。だから、水酸化ナトリウム水溶液を作るときには、水をよくかき混ぜながら少しずつ水酸化ナトリウムの粉を加えていくのです。そのようにしても水酸化ナトリウム水溶液は熱くなりますが、安全に水溶液をつくることができます。
このように、AにBを加えることとBにAを加えることは全く違うのです。例えば、砂糖に水を入れても水に砂糖を入れても同じ砂糖水になりますが、一流の料理人は、どの順序でどのタイミングで入れるのかをよく考えて美味しい料理を作っておられます。お湯で煮込んでから味付けするか、味付けしたお湯で煮込むかは全然違いますし、水とお湯では砂糖が溶ける速さが変わり、その時間差をうまく利用されています。

中学生時代は大切な青春の時間です。だからこそ、生徒の皆さんには、より高い目標を見すえて、ていねいに物事を考えてほしいと思います。
2025/05/21
睡眠を大切に
夜ふかしをしてしまい普段の睡眠時間よりたった90分短くなっただけで、翌日の体温調整がうまくいかなくなって、熱中症の危険性が高まることが分かっています。このように十分な睡眠が健康維持に不可欠なのですが、睡眠には学力アップの重要なカギがあることも最近の研究で明らかになっています。

生徒の皆さんは、就寝前になかなか解けなかった問題が一度睡眠をとった次の日にすらすら解けるようになったといった経験はありませんか。また、一日中楽器演奏の練習をしても上手く弾けなくて、疲れて睡眠をとった次の日に、突然上手に弾けるようになったという経験はありませんか。

ところで、コンピュータが普及し始めたころ、コンピュータの処理速度を高めるためにデフラグという保守作業を行いました。デフラグとは、情報を何度も読み書きしているうちに、情報が離れた場所に保存されてしまうので、情報を引っ越しさせて連続した場所に保存し直す作業です。たったこれだけのことですが、マンションの1軒1軒の玄関に郵便ポストがある場合とマンションの入り口にすべての郵便ポストがまとまっている場合を比較するほど格段に情報の出入りがスピードアップするのです。
実は、私たちの脳は睡眠中にコンピュータのデフラグと同じような保守作業を行っています。というよりもっとすごい「情報の選別」を行っているそうです。「情報の選別」の第一段階では一時的な保管庫から重要な情報だけがピックアップされ、第二段階ではそれらの情報がかたまりとして圧縮され、第三段階では長期の貯蔵庫へ移動されるそうです。このことで、ピアニストが睡眠前には「ド、レ、ミ……」とフレーズ内の音符を一つ一つ処理していかなければならなかったものが、睡眠後に一回の処理だけでフレーズを演奏できるようになるということです。同様に、寝る前に学習したことが睡眠中に編集されてより完全なものになるため、睡眠後には睡眠前に学習した知識を使いこなせるようになるということです。

中学生時代は大切な青春の時間です。だからこそ、生徒の皆さんには、寝不足にならないように注意して、健康維持と学習の定着につとめてほしいと思います。
2025/05/08
生徒総会によせて
2人以上の人が一緒に過ごすところには、お互いがより良く過ごすためにルールや約束があり、効率よく過ごすためにみんなで役割分担をします。生徒の皆さんの学級にも、いろいろな約束があったり、係・委員会などの役割があったりします。
さて、「志」という漢字は、「こころざし」 と読むことができます。「こころざし」という漢字は、 武士の「士」の下に「心」を書きます。つまり、「自分の目標を達成しようとする気持ち」と「相手のためを想う気持ち」の2つの意味を持っています。「自分のため」だけでなく、「相手のため」という意味深さに、力強さを感じます。このような心構えを持って、生徒会活動を盛り上げてほしいと思います。
生徒総会は、学校全体で自分たちのできることを考えて、学校生活をよりよくしていこうという目的を持っています。また将来、生徒の皆さんが社会人になるとき、会社の会であったり、趣味の会であったり、地域の会であったり、いろいろな会に所属すると思います。それらの会では、年度の始めや終わりに会議を開いて、活動計画やお金の使い方を示したり、活動報告や会計の報告を行ったりします。そして、会の規定に基づいて会員の承認を得て、次の活動が進んでいくのです。

中学生時代は大切な青春の時間です。だからこそ、生徒の皆さんには、生徒総会を通して、将来のために「会の進め方」も学んでほしいと思います。
2025/05/01
自由と平和のパラダイス
打出中学校には2つの大きな石碑があり、開校以来79年を迎える長く受け継がれてきた歴史と伝統を語りかけています。
ひとつは、「明朗・闊達 自主・力行」という校訓です。この校訓には、明るく朗らかで広い心をもち、自ら進んで何事にも力を尽くす人になってほしいという願いが込められています。
もうひとつは、校歌にもある「自由と平和のパラダイス」です。開校時の昭和22年は、戦後の再建期にあたり、自由や平和に対する市民の思いは本当に計り知れないものがあったと考えられます。だからこそ、この意味をしっかりと問い正すことが大切です。
自由とは、決して勝手気ままにしてよいという意味ではありません。自由であるためには、自分の行動に責任が求められるということです。また、平和は与えられるものではなく、自らで築き上げるものです。

心理学に「セルフモニタリング」という言葉があります。自分の日々の生活や行動、気分などを客観的に分析することで、自己コントロール能力を高めることです。校門に据えられた「自由と平和のパラダイス」の石碑を目にするたびに、自分自身をふりかえり、自身の成長につなげてほしいと思います。その力を結集して、生徒の皆さん一人ひとりが打出中学校をどのような学校にするかを決定していくことになります。
2025/04/25
世界から見た琵琶湖
滋賀県民の思いにより、琵琶湖が美しく保たれています。琵琶湖にとって深刻なのは、家庭排水、工業排水、農業排水などが流入して、養分が増加することで植物プランクトン等が異常発生してしまい、水が緑色になってしまうことです。このような水質悪化が起こらないように、下水道が整備されたり、環境への配慮がなされたりしています。
昔の話になりますが、今回も私の体験を紹介したいと思います。
コップ1杯の琵琶湖の水に、しょう油を1滴だけ加えて明るい場所に置いておくと、2週間もたてば黒板のような濃い緑色の水になってしまいます。なぜなら、醤油にはリンがそれなりに含まれていて、植物プランクトンの養分として申し分のないものだからです。このリンに注目した環境学習の成果が大いに評価され、滋賀県が主催する世界湖沼会議で発表できることになりました。
会場では同時通訳がなされ、様々な国々の方に発表を聞いていただけました。とくに、アメリカやドイツの方からは積極的な質問をいただきましたが、会場を見渡すと熱心に聞いている方は半分だけで、残りの半分の方はまったく興味を示していませんでした。ところが、次の方の発表では、今度はアメリカやドイツの方はまったく興味を示さずに、私の発表には興味を示していなかった方々が食い入るように聞いて積極的に質問していたのです。次の方の発表の内容は、「湖からどんどん魚を獲って輸出したことにより、湖の養分が減ってしまい、エサがなくなって魚が育たなくなってしまったので、法律をつくって小さな魚は売らないようにした」というものでした。
つまり、世界の半分は、魚を獲りつくしたことにより、魚が育たないほど湖の養分がなくなって困っていたのです。一方で、日本やアメリカ、ドイツなどは世界中から食料を輸入し、ゴミとなって行き場をなくした養分が湖にあふれて困っていたのです。私はとても申し訳のない気持ちになりました。

中学生時代は大切な青春の時間です。さまざまな出来事について、ひとつだけの見方で考えてしまっていることはありませんか。いろいろな人の意見に耳を傾けて、多面的に考えてほしいと思います。
2025/04/23
ブナの原生林の中で考えたこと
滋賀の奥山はようやく雪解けをむかえ、ブナの原生林にも春が訪れています。今回も、私の体験を紹介したいと思います。
漢字ではブナを「木無(きへんになし)」と書きます。漢字で「木で無い」とまで書かれているのは、乾燥するとねじれやくるいが生じるので、昔は家財に加工し難く役に立たない木とされてきたためです。
春先のブナの原生林は地面まで陽射しが届き、明るくて気持ちの良い場所でした。地面はふかふかで、ブナの落ち葉に覆われていました。あまりにもふかふかでやわらかいことを不思議に思い、落ち葉がどのくらい積もっているのかを調べてみることにしました。
ブナの原生林の地面は落ち葉が雪の重さで押し固められて、まるで「押し寿司」のように平らになっていました。平らな面の下は、分厚い落ち葉のやわらかい層がありました。さらに掘ってくと、再び平らな面が現れ、その下は分厚い落ち葉のやわらかい層がありました。さらに掘っていくと、再び平らな面が現れ・・・。地中の平らな面は全部で4層もあり、かなり深いところまで落ち葉が積もっていました。意外にも、4年分の落ち葉が腐らずに残っていたのです。クリやクヌギの落ち葉は腐りやすくてたった1年で落ち葉が土に変わってしまうこととは大違いでした。分厚い落ち葉の層をつくることができるブナだからこそ、川をせき止めて水をためるダムと同じように、雪解け水をスポンジのように多量にたくわえることができることがはっきりとわかりました。木材として役に立たないとされてきたブナは、琵琶湖の水源として大切な存在なのだと実感しました。

中学生時代は大切な青春の時間です。いろいろな出来事を体験する中で、はじめから嫌だとか役に立たないと決めつけて切り捨ててしまうことはありませんか。いろいろなことに挑戦して、自分の可能性を広げてほしいと思います。

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