校長室より
2026/04/27
文明の基本はネジ
身の回りには、たくさんのネジが使われています。先日、水もれで困っていた用水路の部品を交換するときに、今まで見たことがない大きなネジが使われていてとても驚きました。ところで、「銀河鉄道999」という漫画はアニメ化され、映画にもなった有名な作品です。「銀河鉄道999」では作中に名セリフといわれるような教訓が語られているところが、多くの読者をひきつけています。作者の松本零士氏は、「ウラトレスのネジの山」という話のなかで、あらゆる角度から大量のネジを描いておられます。これだけ大量のネジを描くのはたいへんだと思うのですが、あきらかに作者がネジを描くのを楽しんでいるのだと感じました。主人公の星野鉄郎さんに向かって、ラセンさんが、次のような名セリフを語っています。
「人間の文明の基本は火と車輪とネジよ、知ってるわね。」
「自分で選んでおいて後でグチや不平を言うのは一番卑怯なやつだと私は思うのさ」
銀河鉄道999の「ウラトレスのネジの山」は、ウラトレスという星の住人のラセンさんが、自分が作るネジがどこかで誰かの役に立っていると思いながら、ネジをつくることに人生をかけている姿に心を打たれるお話です。
このように文明の基本ともいわれているネジが、中学校での学習でいったいどのように扱われているのかを整理してみたいと思います。それでは、私が経験した授業で、ネジが登場した場面を紹介します。
まずは、技術の授業です。まさか学校でネジをつくることができるとは思っていなかったので、本当にわくわくする体験でした。ネジの溝を切る作業はコツが必要ですが、ただの棒がネジに変化していくのはすごいと思いました。そして、ネジが完成したら、それで終わりだと思っていたら、その続きがあったのです。
「それでは、自分が作ったネジが、本当に使えるのか試してみましょう。」
できあがったネジが、ネジ穴にピタッと一致したときには、何とも言えない喜びがありました。どの穴にもピタッとはまるのは、ネジの規格が、世界中で統一されているからだそうです。製品の安全性、組み立ての効率、そして交換しやすさを確保するためにネジの規格は統一されているそうです。私たちは、たった1本のネジづくりを通して、ものづくりの世界への理解が広がりました。
次は、理科の授業です。学校の玄関に設置されている車いす用の斜面(スロープ)の写真を見て、段差を上るために斜面を使えば、小さな力で上がることができるので便利であることを確認しました。そして、急な斜面とゆるやかな斜面を比較して、斜面のかたむきが小さいと、小さな力で上がることができるかわりに、斜面の長さが長くなってしまうことも確認しました。その後、加える力と動かす長さにどのような関係があるのかについて実験しました。その結果、真上に1m引き上げる場合、200gの重さがばねはかりに加わっていたのに対して、2mの斜面を使って同じ高さまで引き上げる場合、100gの重さがばねはかりに加わっていたことがわかりました。このことから、斜面の長さを2倍にすると斜面を上がるのに必要な力は1/2でよいということになります。つまり、斜面の長さを3倍にすると必要な力は1/3、長さを4倍にすると必要な力は1/4となるということなのです。私は、「なるほど」と思いました。斜面を使うと、上がるのに必要な力は小さくなって得をするけれど、その分だけ動かす長さは大きくなるので損をするということだからです。そして、この授業には続きがあります。1本の棒と三角定規のような斜面の断面図の紙切れが各班に配られました。
「その紙は斜面を横から見た断面図です。その直角三角形の紙を棒にぐるぐるとまいていきましょう。」
やってみて、私たちはびっくりしました。紙をまきつけた棒が、ネジのように変身したからです。ネジは、斜面をまきつけたものだったのです。「ネジは斜面を閉じ込めたすごい発明品だなあ」と、とても感動しました。
最後は、社会の授業です。織田信長は南蛮貿易で大量の鉄砲と火薬を手に入れ、長篠の戦いで最強とされた騎馬軍団を撃破しました。この合戦は、それまでの騎馬戦中心の戦いから鉄砲戦へと時代が変わる転換点となり、信長が天下統一へ大きく前進するきっかけとなったとされています。
鉄砲に注目すると、1543年の種子島への伝来が日本人と鉄砲との初めての出会いであったといわれています。鉄砲は火薬の爆発で筒から弾を撃ち出すため、筒の後ろ側を強力にふさぐ必要があります。かといって、筒の後ろ側を完全にふさいでしまうと、撃った後の火薬の残りカスを取りのぞくことができなくなってしまうのです。そのため、筒の後ろ側を強力にふさぐことができて、しかも取り外しができるような仕組みをつくることが必要です。それでは、鉄砲の筒の後ろ側を、どのようにしてふさげばよいのでしょうか。
生徒の皆さんはもうお分かりだと思います。ネジを使うのです。つまり、日本人がネジを理解して初めて国内で作ることができたときこそが、鉄砲の国産化の瞬間だったのです。
以上のように、1本のネジを考えてみたら、いろいろな授業が思い出されました。もしもネジがなかったら、満足に動かないものがたくさんあります。ネジはあちこちのいたる所で役にたっています。
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2026/04/23
鍾乳洞調査のハラハラした出来事
生徒のみなさんは鍾乳洞に行ったことはありますか。滋賀県にもいくつかの鍾乳洞がありますが、伊吹山のふもとに「河地の風穴(かわちのふうけつ)」という大きな鍾乳洞があります。ところで、石灰水に息を吹きこむと白くにごります。石灰水が白くにごるのは、実は石灰岩のかけら(石灰石)ができたからです。中学3年生の理科で学ぶのですが、このときの変化は酸性の水溶液とアルカリ性の水溶液の中和反応です。簡単に説明すると、アルカリ性の石灰水と、水に溶けて酸性を示す二酸化炭素(炭酸)が中和して、それにともなって水に溶けない「炭酸カルシウム(石灰石)」ができたため白くにごったのです。実は、このにごりの正体と同じもので鍾乳洞の岩石はできているのです。
鍾乳洞ができる仕組みは簡単です。生徒の皆さんは、理科の実験を思い出しながら考えていきましょう。
石灰水が白くにごってから、さらに息を吹きこみ続けると、にごりが消えて透明になったような経験はありませんか。理科の実験で石灰水に息を吹きこみ続けた生徒が「あれっ? 透明になったぞ! 」と驚いている場面を、私は何度も見てきました。石灰水に二酸化炭素を吹きこむと、はじめは白くにごるのですが、やがてにごりが消えて透明になってしまうのです。その理由は、炭酸カルシウム(石灰石)は過剰な二酸化炭素と反応すると、水に溶けやすい炭酸水素カルシウムという物質にさらに変化してしまうため、再び水に溶けてしまい透明になってしまったのです。
このような変化は鍾乳洞ができるしくみとまったく同じです。石灰岩(石灰石)の大地に、二酸化炭素をたっぷりふくんだ雨が降り注ぐと、少しずつ石灰岩が溶かされて穴が開いていきます。この穴こそが鍾乳洞なのです。
さて、滋賀県の「河内風穴」は、総延長10kmを超える近畿地方最長かつ日本屈指の規模を誇る巨大鍾乳洞だとわかったのは、2001年のことです。それまでは測量された長さが300メートル程度とされていましたので、当時の新聞紙上をにぎわした大事件となりました。このことを受けて、私たちの研究グループは多賀町の教育委員会から話題の奥地へ続く鍵をいただいて、この鍾乳洞の学術的な価値を調査する許可をいただくことができました。
鍵をあけて頑丈な鉄の扉の奥へと進むと、暗闇がずっと続いていました。鍾乳洞の中は、アリの巣のようにときどき枝分かれしてたくさんの道へと続いていきます。まだ洞窟内の地図はできていませんので、未知の鍾乳洞を調べるときには、最初は右手で右側の壁をなぞりながら進み、帰りは左手で左側の壁をなぞるように進むことで、ちゃんと元の場所へ帰ってくることができるような方法で安全を確保します。このような鍾乳洞調査のノウハウを学び、鍾乳洞を傷つけないというマナーをしっかり守りながら進みました。
鍾乳洞は広くなったり、せまくなったりしていて、上下左右へ通り道が続いていました。道に迷わないように集中して進んでいると、突然、私のヘッドライトの光が消えてしまったのです。私は一番後ろを進んでいたので、あっという間に前の人が見えなくなって、周囲は暗闇にのみこまれました。
さあ、緊急事態です。まずは大きな声でなかまに呼びかけました。鍾乳洞の中で自分の声がわんわんと響きましたが、どうやら前の人には伝わってないようです。複雑に入り組んだ鍾乳洞では、まっすぐ進む音は、岩の角度などによって、壁に沿って伝わらず、遮断されやすいのです。予備の電池はポケットの中にあり、予備の電球がヘッドライトに内蔵されているため、交換することでヘッドライトの復旧に努めました。ところが、原因不明のトラブルにより、ヘッドライトは二度と点灯することはありませんでした。私は、ヘッドライトの予備電球と予備電池を持っていたことに安心していて、予備の懐中電灯を持ってこなかったことをとても悔やみました。
少しでも何か見えないかと考えて目を大きく見開きましたが、何も見えません。光がない場所では本当に何も見えないのです。暗いところでも何かが見えるのは、実は少しだけでも何かの光があるからなのです。私たちの目には、色を感じる細胞のほかに、色を感じない細胞があります。この色を感じない細胞は、暗いときに力を発揮するので、少々暗くても、ちゃんとものが見えるようになっているのです。ところが、この細胞の力をもってしても、まったく光がない場所では、さすが何も見えないのです。このような何も見えない暗がりの恐怖はこれまで経験したことがないものでした。
今度は少しでも音が聞こえるのだろうかと耳をすましました。音がない様子は、「しーん」としていたと表現されていますが、まったく違います。「しーん」という音は聞こえないかわりに、「どくん どくん」と体内の血液が流れる音や、血管の拍動が聞こえてくるのです。「ああ生きているなあ」と、安心している場合ではありません。大ピンチです。
こんなときは、その場を動かないこと。それが鍾乳洞調査の鉄則です。なぜなら、みんなは必ず同じ道を引き返して帰ってくるからです。次は待っている間に、自分の周囲の壁を確かめてみることにしました。その場にじっと座りながら、手を伸ばして周りの様子を確認しようとしたのです。ところが…、自分の周囲は360度、完全に壁に囲まれて密室のようになっていたのです。つまり、来た道も進む道もなくなっていたのです。いったいこれは何が起こったのかまったく理解できません。私はこのときはじめて「これはただごとではない」と自覚しました。
しばらくして、声が聞こえてきたらすぐに、引き返してきたなかまに再開することができました。時間にすると5分くらいだったそうですが、私には何10分にも思えた時間でした。明かりに照らされた先には、暗闇では気がつかないような位置に道が続いていたのです。暗がりで光も音も感じないと、普段の感覚も大きく変わってしまうことがよくわかりました。
大きな危険を回避するために、これ以上はないというほどの準備が必要だと強く感じた体験になりました。
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2026/04/15
ゾウの足跡化石発掘の手伝いをしたときの思い出
野洲川で最初の大発見があったのは、今から38年前の1988年でした。自然観察のコースの下見をしておられた高校教諭の田村幹夫先生が、野洲川の川原で直径約30cmのくぼみを発見されました。そして、その発見がきっかけとなって、ゾウやシカ、さらにはワニや鳥の足跡の化石が次々と見つかったのです。足跡が残る規模の大きさから日本中で大きな話題となり、その場所の様子は琵琶湖博物館の中に再現されています。ところで、そのころの私はまだ学生でしたが、ちょうど地学の研究をしていたこともあり、田村先生から、足跡化石を発掘するお手伝いをしてほしいと頼まれました。田村先生は、このような調査を専門家だけで行うのではなく、若い学生たちや市民の方とともに行いたいと考えておられ、たくさんの人が集められたのです。このように化石を調査したり、地質を調査したりするような地学の研究は、個人で行うのは大変なので、他の人に手伝ってもらうことは当たり前のことでした。バイト代はもらえませんが、貴重な体験ができるのでとてもうれしかったです。
さて、現地では、はじめに田村先生から説明がありました。お話によると、自然観察会を企画されていて、その下見をされていたそうです。大雨による増水によって、野洲川に近づくことができなかったけれど、ようやく川の水が引いて川原を歩けるようになった日に、川岸の土砂が流されていて、その下から平らな地面が顔を出していたそうです。この新しい地面を注意深く観察していると、ゾウの足跡と思われる30cmくらいのくぼみを発見したということでした。はやる気持ちを抑えながら、その付近を観察すると、今まで気づいていなかったシカの足跡が急に見えてきたそうです。そのとき、「ゾウの足跡に間違いない」と確信したそうです。さらに注意深く観察していると、今まで気づいていなかったたくさんのくぼみが周囲に見つかり、一面に右、左、右、左と交互に、数えきれないほど多くの足跡がずっと続いていることにあらためて気がついて、その規模がとてつもなく大きいことに驚いたそうです。
この話をお聞きして、私は田村先生に質問しました。
「なぜ、田村先生は最初に見つけた直径約30cmのたったひとつのくぼみを見て、ゾウの足跡だと思ったのですか? 川原には自然にできるくぼみはたくさんあるから、そのくぼみがゾウの足跡かもしれないと考えたのはなぜですか? 」
生徒の皆さんはどう思いましたか。ゾウの足は5本指ですが、指の形は微妙にしかわかりません。ゾウの足の裏は円形をしているので、足跡はただの円形のくぼみになるのです。つまり、足跡かどうかは形だけ見ていてもわからないということです。
田村先生は次のように答えられました。
「ゾウは4本足ですが、前足と後ろ足があります。動物園でぜひ見てほしいのですが、ゾウは前足で踏んだところを必ず後ろ足で踏んで歩いていきます。前足と同じところを後ろ足で踏んで歩くことで、ケガをしないように上手に進んでいるのです。だから、そのくぼみを見てください。くぼみが二重に重なっていることがわかりますか。前足で踏んでできたくぼみに、後ろ足で踏んだくぼみが重なっていて、二重にへこんでいるのが決め手です。」
私はなるほどと思いました。ゾウの足の形だけではなく、歩き方を知っていることが大切だということがわかり、質問してよかったと思いました。
それでは、その時の様子を詳しく紹介したいと思います。
ゾウの足跡がついている地面は、コンクリートのように堅いものでした。そして、ゾウの足跡には流されてきた川砂がたっぷりつまっていました。したがって、発掘作業とは、地面を傷つけないように、やさしくブラシで川砂を取り除くことでした。ていねいに川砂を取り除いていると、円形のくぼみがちゃんと二重になっていることや、微妙に5本指が確認できました。そして、メタセコイヤの木の切れ端がくぼみにめり込んでいましたので、当時のゾウが踏みつけたものだとわかりました。1日目の作業で、私は2つの足跡をきれいにクリーニングすることができました。大がかりな発掘だったので、たくさんの新聞記者があちこちを取材されていました。
発掘作業の二日目は、田村先生から参加者のみんなへの注意事項から始まりました。どうやら昨日、話が大好きな方が、新聞記者に適当なことを伝えて、それが事実として報道されてしまったとのことでした。その方が言うには、ゾウの足跡の近くに、ネコの足跡のような形をした大きなくぼみが見つかったそうです。周りの人と話しているうちに、ただのくぼみかもしれないのに話が大きくなって、「きっと、『サーベルタイガー』という大型の肉食動物の足跡だ! 」と冗談で大きな声で話してしまったそうです。そのことを聞かれてしまい、新聞に「野洲川の川原にサーベルタイガーの足跡も発見!」とイラスト付きで報道されてしまったのです。
その方は、田村先生からさらに厳重注意を受けたようでしたが、実は注意された後にもいろいろな冗談を大きな声で言っておられたので、周りの人はひやひやしていました。その一つは、ちょうど自分の足と同じ大きさのくぼみがあったので、自分の足をくぼみに合わせながら「これは、きっと人類の祖先の足跡だ! 」というものでした。このようなことはいい加減に話せるものではありません。もしそれが事実なら、人類の祖先はアフリカでなく滋賀県で先に生まれたことになってしまうからです。
くぼみが二重だったことがゾウの足跡の決め手になったように、何事も知っておくことがとても大切だと思いました。
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2026/04/09
なかなか咲いてくれないチューリップの花のなぞ
私の家では、毎年秋にたくさんのチューリップの球根をプランターに植えています。そして、初夏になったらチューリップの球根を掘り起こして、涼しい場所で保管しています。このような作業を機械的に繰り返しているうちに、球根が分裂して増えてしまい、大量の球根を世話しなくてはならない状況に陥ってしまいました。今年になって初めて「いつになったらチューリップの花が咲くのだろうか?」と、家族に聞いてみました。なぜなら、つぼみが鮮やかに色づいて巨大化しているのに、どのチューリップも花を咲かせる気配がまったくなかったからです。過去の記憶をたどってみても、開花しているチューリップの花をほとんど見ることがなかったということに、改めて気づいたのです。
「昨日も咲いていたで。」
これが家族の答えでした。生徒の皆さんはもうお分かりでしょうか。実はチューリップの花は私の知らない間に、毎年こっそりと咲いていたのです。実は、チューリップの花は閉じたり開いたりするものであり、毎日ちゃんとお昼ごろには開花していたのです。
私の家は学校からかなり遠いので、毎日朝早く家を出て、夜遅くに帰宅しています。そのため、早朝に見るチューリップの花は当然固く閉じていて、夜遅くに車のヘッドライトで照らして見ているチューリップの花もまた、固く閉じてしまっていたのです。
調べてみると、チューリップの花が開くためには、20℃くらいの暖かい気温が必要だそうです。そして、気温が10℃くらいまで下がる夜間には花を閉じるそうです。つまり、チューリップの花は、昼間の陽気で開き、夜間の冷気で閉じるというように、1日のうちに花の開閉を繰り返していたのです。チューリップは暖かくなると花びらの内側が伸びて開き、寒くなると内側の成長が遅くなり閉じるという仕組みを持っていて、夜間の寒さや夜露から花粉を守っているそうです。
そして、私にとって不幸だったのは、たまの休日には雨が降っていたりして、気温が低いままだったことで、わが家のチューリップの花が開く場面を見ることができなかったというわけです。夜間に閉じているチューリップの花は、本当に憎らしいほど「つぼみ」に見えるのです。そして、同じように春に咲くサクラの花の場合は、いったん開花すると最後まで閉じることがないので、まさかチューリップの花が閉じたり開いたりしているということを考えることができなかったというわけです。
ところで、春先には黄色やピンク色、白色や青紫色など、目立つ色の花が多く、遠くからでも花を見分けることができます。例えば、春を代表する花のサクラや菜の花などがあげられます。このように春先に咲く花は、まだ気温が低く昆虫の活動が鈍い時期に確実に昆虫を呼び寄せて受粉するために工夫をしているのです。同じような理由で、春先に咲く花は香りが強いものが多く、目覚めたばかりの昆虫を匂いで遠くから誘い出しています。
私がとくに感心したのは、キンポウゲという植物の花です。キンポウゲはあちこちの道端に咲いているので、生徒の皆さんもよく見かけるのではないでしょうか。キンポウゲは、春から初夏にかけて直径2cmほどの鮮やかな黄色い花を咲かせています。5枚の花びらがパラボラアンテナのように雄しべと雌しべを囲むように曲がっています。しかも、花びらにつやつやした光沢があり、日光を反射して黄金色に輝いて見えるのです。
このように、キンポウゲの花がパラボラアンテナのような形をしていて、花びらがつやつやしているのは、花びらを使って日光を中心に集めるためだそうです。これにより、花の中の温度が周囲より数℃高くなり、暖まりたい昆虫が集まる休憩所となっているのです。
春の花は、昆虫が少ないため、形や色、においなどを工夫して受粉できるように工夫しています。春の通学路で気になる花があれば、その形や色にどんな意味があるのか考えてみませんか。
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2026/04/06
空を洗う雨
「春に三日の晴れなし」と言われるように、春の天気は変わりやすいものです。そして、桜が咲くころのどんよりとした曇り空は「花曇り(はなぐもり)」と言われています。生徒の皆さんは、春には黄砂(こうさ)が降ってくるという話を耳にしたことがあると思います。空が黄色にけむり、車や建物に黄色い砂が積もるのです。花粉症のように、目・鼻のアレルギー症状を引き起こす原因となるので、黄砂が降っている日にはマスクを着用するという人もいるのではないでしょうか。
春になると、中国内陸の砂漠では、雪や凍った地面がとけて土がむき出しになり、乾燥しやすくなります。そのため砂や土が空気中に飛びやすい状態になるのです。そして、上空に巻き上げられた砂や土が、西から東へ吹く強い風に乗って、日本に運ばれてきます。この西風がちょうど日本に吹きつける時期が春と重なるので、黄砂の飛来は春が最も大きくなっています。
このように日本に黄砂が降り積もることから考えれば、中国大陸ではその分の黄砂が失われているということです。その黄砂の量はかなり多くて、年間約2億〜3億トンと推定されています。そして、その大部分は日本海に降り注いでおり、黄砂にふくまれている鉄分やカルシウムなどが養分となり、海中のプランクトンを育んでいます。日本海が豊かな漁場になっているのは、肥料としての黄砂の役割も大きいのだとされています。
ところで、生徒の皆さんは、雨は何性だと思いますか。多くの人はきっと、「中性に違いない。なぜなら蒸留水だから」と答えてしまうのではないでしょうか。もちろん、暖められて蒸発した水分が上空で水滴に変わり戻ってくるのですから、純粋な水だったことには間違いはありません。ところが、雨は空気中に浮かんでいるものを掃除しながら降ってくるので、空気を漂う黄砂のようなさまざまなものをふくんで降ってくるのです。とくに、降り始めの雨には多くのものが含まれる傾向があるので、干しておいた洗濯物を早く回収しないと、降り始めの雨によって汚れてしまいます。
さて、雨は何性なのかをもう一度考えてみたいと思います。実は、黄砂などが含まれてなくても、二酸化炭素が常に空気中に存在するので、どんなにきれいな場所の雨でも二酸化炭素が雨にとけこんでいます。生徒の皆さんはもうお分かりだと思いますが、二酸化炭素を水にとかすと炭酸になります。つまり、雨には必ず二酸化炭素がとけこんでいるため、雨水は酸性を示すのです。このような自然状態での弱い酸性の雨は、地球環境の極端なアルカリ化を防ぐ働きを担っているそうです。
雨上がりの空は澄みわたっていて、本当にすがすがしいと感じます。なぜなら、雨は空気中に浮かんでいるものを掃除してくれるので、黄砂や花粉など洗い流されて、雨上がりの空気は本当にきれいだからです。黄砂によって空が黄色にけむり、車や建物に黄色い砂が積もるような天気が続いても、雨上がりには再びきれいな空気に戻ります。
このような日の夜空はとても美しいです。春の星座といわれる「おおくま座」の北斗七星から続く「春の大曲線」とよばれる一等星のつながりはとても見ごたえがあります。また、鏡のような琵琶湖の水面に映る夜景がくっきりと見えて、湖岸はとても幻想的です。
雨上がりの日には、すがすがしい空気とともに、しっとりとぬれた新芽の緑色が映える春の情景を楽しんでください。
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2026/03/30
宝石「トパーズ」のふるさと大津
トパーズは誕生石であり、黄玉ともよばれる宝石です。とても硬いので傷がつきにくく、日常的に身に着けることができるので、とても人気があります。また、水滴のようなウルウルとしたみずみずしい輝きを放つので、古代ギリシアやエジプトでは太陽の石とよばれていたほどです。さて、生徒の皆さんは、このトパーズの世界的な産地が大津市だったと言えば、きっと驚くのではないでしょうか。
明治時代以前には、瀬田川を歩くと、トパーズがごろごろと川原に落ちていたそうです。これに目をつけた外国の宝石商が、トパーズとしての価値を見出し、地元民を雇って大量に拾わせました。その結果、明治時代だけで、少なくとも700kgのトパーズが海外へ持ち出されたとされています。その中でも高品質なトパーズは、欧米の博物館に送られ、アメリカ自然史博物館などで見ることができるそうです。
それでは、なぜトパーズがごろごろと瀬田川の川原に落ちていたのでしょうか。
その理由は、水晶にくらべるとトパーズが圧倒的に硬いためです。日本では江戸時代後期になってからようやく、トパーズを磨いたり砕いたりすることできるようになりました。そのため、水晶は加工しやすくて需要があるのに対して、トパーズは加工しがたくほとんど需要がなかったようです。宝石は磨いてこそ輝くものですし、上手に整形することができないという理由で、多くが川原に放置されていたというわけです。
それでは、どのようにして水晶ではなく、トパーズだけを手に入れるのでしょうか。
トパーズはとても硬いのですが、川原に落ちているものは、さすがに表面にすりガラスのように小さな傷ができており、形も丸くなっています。そのため、外形だけでは見分けることはできません。ところが、透き通った結晶を見つけることができたなら、その結晶が水晶なのかトパーズなのかを簡単に見分ける方法があります。ひとつめの方法は、結晶を水にぬらすのです。すると、水晶とトパーズとでは、輝き方に違いが表れます。水晶はぬらすと輝きが損なわれるのに対して、トパーズはキラキラとしたシャープな輝きを保つのです。ふたつめの方法は、細かいスジ(条線)の向きに注目するのです。水晶は条線が結晶面に対して横向きになっているのに対して、トパーズは条線がたて向きになっています。これらの方法で、どんなに小さな原石でも確実に水晶なのかトパーズなのかを見分けることができるのです。
さて、私が学生の頃に、先輩が大切な人の誕生日に、誕生石のトパーズをプレゼントしたときのお話を聞いたことがあります。先輩は、どうせなら自分の手で誕生石を手に入れ、それをプレゼントしたいと考え、瀬田川の川原で2週間、トパーズを探し歩いたそうです。やっとのことで、小指の爪ほどのトパーズの原石を手に入れることができ、大喜びで大切な人にプレゼントしました。その結果については、生徒の皆さんはもうお分かりだと思います。
先輩 「これ拾いました…。」
大切な人 「何これ?」
先輩 「…。」
つまり、トパーズの見分け方を知らない人にとっては、原石のままの砂粒のようなものを渡されても、困ってしまうのではないでしょうか。
それでは、なぜ瀬田川の川原にトパーズが落ちているのでしょうか。それは、残念なことに、自然破壊の歴史とも深いかかわりがあるのです。
奈良時代以前には、大津市の田上山(たなかみやま)には、高品質なヒノキなどの樹木が多く自生していました。その木材を東大寺などの平城京の建築のために、ほとんどすべての樹木を乱伐してしまったのです。さらに悪いことに、田上山は風化しやすい花こう岩でできています。そのため、一度樹木が失われると、降雨のたびに花こう岩の表土が流出し、植物が再生できない「はげ山」へと急速に変わってしまったのです、このような理由で、残念なことに、田上山は日本最古の大規模な人間による自然破壊が起きた場所として知られています。
このように降雨のたびに山がくずれ、本来は花こう岩の中にふくまれている水晶やトパーズが、明治時代までずっと、花こう岩が砕けてできた土砂とともに瀬田川に流れこんでいたのです。
ところで、水晶やトパーズは花こう岩にふくまれていますが、田上山のどこにでも存在するわけではありません。ほんの一部の場所で、とある条件が整うことにより、花こう岩中の結晶が数cm〜数mに達することがあります。このような場所は晶洞とよばれていて、水晶やトパーズなどの大きな宝石がざくざくと採れるのです。日本最大規模の晶洞は、田上山で発見され、愛好家の間では「聖地」として知られています。その晶洞を発見されたのは中沢和雄さんです。その中沢さんにちなんで名づけられた中沢晶洞とよばれる場所からは、重さ6.2kgという国内最大のトパーズの原石や、長さ38cmの水晶などが掘り出されました。
中沢さんと知り合って、生前には私たちを中沢晶洞まで案内していただき、晶洞を発見されたときの感動の体験を聞かせてもらうことができました。最初は小さな穴だったけれど、掘れば掘るほど広くなり、壁にびっしり生えている結晶を採りながら夢中で掘り進んだそうです。本当に夢があふれるお話でした。
そのお話の中でとても印象に残ったことは、「晶洞を発見したことは偶然でなく、それを探し続けた結果だった」ということです。
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2026/03/18
古代のロマンを感じる「レイライン」 -春分の日におこること-
日本地図を広げて、信仰の聖地となっているような古代の遺跡、神社、仏閣、巨石群などを直線でつないでみましょう。信仰の聖地としてまず初めに思い浮かべるのは「富士山」だと思います。富士山は、日本一の高さを誇り、その壮大な姿や、繰り返された荒々しい噴火によって、古代より人々の関心を集めてきたからです。
次に思い浮かべるのは、「出雲大社」ではないでしょうか。出雲大社は、古事記に詳しく記されており、主祭神の「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をまつる日本屈指の信仰の対象だからです。その信仰はたいへん厚く、旧暦の10月には、全国の神々が、縁結びや農作などについて話し合うために、出雲の国(島根県)に集まるので、島根県では神々が集まるため「神在月(かみありづき)」と呼ばれるのに対して、それ以外の地域では各地の神様が不在になるため「神無月(かんなづき)」と呼ばれているほどです。
それでは、古代より信仰を集めてきた「富士山」と「出雲大社」を直線で結んでみましょう。すると、その直線は滋賀県の上を通るのです。しかも、滋賀県においても、古代より信仰を集めてきた聖地の上を、まさにその直線が通っているのです。
その一つは伊吹山で、もう一つに竹生島があります。生徒の皆さんも知っている通り、伊吹山は滋賀県の最高峰です。古代から伊吹大明神という水の神をまつる霊峰として崇拝されてきました。また、竹生島は、琵琶湖に浮かぶ無人島で、琵琶湖を守る竹生島神社がまつられています。このように竹生島も、古代より神の島として信仰を集めており、最近は日本屈指のパワースポットとして知られているほどです。
それでは、「富士山」と「出雲大社」を結ぶ直線をつないでいきます。すると驚くことに、東から順に、「富士山」→「信仰の山の七面山(山梨県)」→「信仰の山の金華山(岐阜県)」→「伊吹山」→「竹生島」→「信仰の山の大山(鳥取県)」→「出雲大社」と、古代の名だたる信仰の聖地が一直線で結ばれるのです。このように、信仰の聖地を結んだ直線を、英語で「Leyline(レイライン)」というそうです。この「Leyline」という言葉は、古代イギリスの巨石遺跡群を研究していた考古学者のアルフレッドさんが提唱したものです。
もちろん日本列島には無数に信仰の聖地がありますので、直線の方向を決めずにそれぞれを直線でつなぐならば、南北に引いたり、ななめに引いたりして、何本もの「Leyline」をつくることはできます。しかしながら、この「富士山」と「出雲大社」を結ぶ「Leyline」は、東西方向に、寸分のくるいもなく引いた直線でもあるのです。言い換えると、真東から真西へ向かって、「富士山」→「七面山」→「金華山」→「伊吹山」→「竹生島」→「大山」→「出雲大社」がまっすぐにならんでいるのです。
ところで、「3/12の校長室より」のお話の中で、「春分の日の太陽は、真東から昇って真西に沈む」ことについて考えました。つまり、「富士山」と「出雲大社」を結ぶ「Leyline」は、真東から真西へ引かれているので、春分の日の太陽の通り道でもあるということです。簡単に言えば、もしも地球が平面であったなら、春分の日には、出雲大社で富士山から昇る日の出≠ェ見えるということです。そして、朝日をあびた富士山の影に、「七面山」、「金華山」、「伊吹山」、「竹生島」、「大山」、「出雲大社」がすべて隠されるということです。このように、太陽光線(Ray)が作り出す直線(Line)という意味では、「富士山」と「出雲大社」を結ぶ直線は、「Ray-line(レイライン)」と呼んでもよいものでもあるのです。
このように、「富士山」と「出雲大社」を結ぶ直線はレイラインであり、春分の日には、「Leyline(遺跡を結んだ線)」と「Ray-line(太陽光線を結んだ線)」の2つの意味を持つことになります。
さて、3月20日の春分の日に、高島市今津町の湖岸で「レイライン今津」が開催されます。北仰浜(きとげはま)に集まり、午前5時58分の日の出をみんなで見ようという集まりです。北仰浜から琵琶湖を見ると、ちょうど竹生島の後ろにそびえたつ伊吹山の山頂から太陽が昇ってきます。そして、日の出の光が湖面に反射して、太陽から手前に向かって帯状に輝く光の道ができます。この光の道は「サンロード」と呼ばれるもので、たいへん美しい光景です。伊吹山の後ろには、金華山、その後ろには七面山、さらにその後ろには富士山があることを想像すると、喜びもひとしおです。
実は、「レイライン今津」は、昨年の秋分の日にも開催されました。秋分の日にも春分の日と同じことが起こるからです。湖岸にはたくさんの人が訪れていて、ここでしか見ることができない光景を味わっておられました。掲載した写真はそのときのものです。少し曇っていましたが、伊吹山から竹生島へ続くレイラインをしっかりと見ることができました。
レイラインのように、ある日ある場所で起こることが、大きな意味を持つことがあります。このように考えると、意外と身近なところでも大きな発見があるかもしれません。
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2026/03/12
影がなくなる国々 -春分の日におこること-
知り合いから、エアメール(外国からの手紙)が届きました。その手紙には、次のように「なぞなぞ」が書かれていたのです。「旅行先で撮った写真を1枚だけ同封します! 澤田先生だから、私が今どこにいるのか分かりますよね。ヒントは、イタリア、アメリカ、オーストラリア、日本のどれかです!」
その写真には、噴水の公園、1本のペン、方位磁針、腕時計だけが写っていました。おそらくこの手紙を書くために、方位磁石をわざわざ旅行に持って行かれたのだと考えられます。「普通は観光名所の建物や風景を撮影するのになあ」と、ちょっとあきれましたが、この写真が自信作であることがうかがえました。
それでは写真を見ていきましょう。
まず、噴水公園を見ていきます。この噴水は、明るい屋外にある立派なものであり、豪華な彫刻が刻まれていました。次に、1本のペンを見ていきます。このペンは、方位磁針の中央に垂直に立てられていて、ペンの影が南側に伸びていました。最後に腕時計を見ていきます。時計の針は12時ちょうどを指していました。
生徒の皆さんは、もうお分かりではないでしょうか。
手紙がエアメールであったことや、屋外の噴水の豪華な彫刻などから考えて、日本ではないことは明らかです。そして、腕時計が示す時刻と、ペンの影ができていること、明るい屋外の噴水の様子などから考えて、真夜中ではなく正午であることがわかります。最後は、影の向きに着目して考えていきます。日本では、正午の太陽が真南にくるため、影は必ず北側にできるのですが、写真の影は南側に伸びています。このことから、正午の太陽が北にある国ということになります。
ところで、生徒の皆さんは、3年生の理科の授業で、「正午の太陽は真南にくる。このことを『南中』という」と学びます。しかし、この説明では不十分なのです。正しくは、「日本(沖ノ鳥島を除く)のように北回帰線以北に位置する北半球の国では、1年を通して正午の太陽は真南にくる。このことを『南中』という」と書けばよいのです。
これとは反対に、南半球の南回帰線以南に位置する国では、1年を通して正午の太陽は南ではなく、北の空にあるのです。これら南半球の国では、太陽が「南中」するではなく、「北中」する」ということになります。ただし、「北中」という用語は存在しません。世界の国々では「正中」という用語を用いており、日本とアメリカだけが「南中(southing)」という用語を用いていることも知っておくとよいと思います。
以上のことから、「なぞなぞ」の答えは、南半球に位置している「オーストラリア」となります。
オーストラリアの首都キャンベラは南回帰線以南に位置するので、1年を通して正午の太陽が北の空から地面を照らします。また、正午には建物の影が南側にできます。そのため、日本にいる感覚で、太陽の位置や建物の影の方角を基準にして街を散歩していると、方位を勘違いしてしまうので注意してください。
さて、3月20日(祝)は、春分の日です。春分の日は、昼夜の長さがほぼ同じになる日です。 また、太陽が真東から昇り、真西に沈む日でもあります。以上の現象は、北極点と南極点を除くと、世界中すべての国に当てはまります。つまり、イタリア、アメリカ、オーストラリアの国々でも、春分の日には、昼夜の長さがほぼ同じで、太陽が真東から昇り、真西に沈むのです。このようになるのは、地球の自転軸が太陽に対して垂直に近くなるため、地球全体が均等に照らされるからです。
さらに、春分の日には、赤道直下の国々では驚くようなことが起こります。それは、正午の太陽が真上にくることです、この日、赤道直下の国々では、太陽が真東から昇り、真上を通って、真西に沈むのです。そのため、午前は、真西へ伸びていた建物の影がだんだんと短くなっていき、正午に影がなくなります。そして午後は、真東へ向かって影がだんだん長くなっていくのです。
生徒の皆さんは、「影ふみ遊び」をしたことがありますか。「影ふみ遊び」は、太陽の光で地面に映った自分の影を、鬼にふまれないように逃げる屋外の鬼ごっこです。鬼は、直接身体に触れるのではなく、逃げる人の影をふむことで交代します。ただし、ふつうの鬼ごっこのように、タッチされたという感覚がないので、微妙に難しかったことを覚えています。この遊びは、春分の日の赤道直下の国々では、「お昼に影がなくなるので無理だなあ」と思います。
太陽の動きや影の様子もそれぞれの国で異なっています。このような国際感覚も身につけられるよう、よく考えていきたいと思います。
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2026/03/06
桜は一斉に咲く
3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。式場に飾られた桜の壁画から皆さんの決意を感じました。春の訪れとともに咲く桜は、別れと新たな出会い、そして、旅立ちを彩る縁起のよい花です。桜はバラ科のサクラ属ですので、よく見ると花の形が野バラに似ていることに気がつくと思います。桜は、種類によって開花する時期が異なります。
皇子が丘公園の桜はちょうど今、満開を迎えています。この桜は、ハツミヨザクラ(初御代桜)という品種で、およそ180本が植えられているそうです。他の桜に先駆けて、早春の時期に花を咲かせることから、ハツミヨザクラと名づけられています。そのため、皇子が丘公園は、大津市で一番早くお花見ができる場所として知られています。
もう少し暖かくなってから、打出中学校の校庭で美しい花を咲かせるのは、ソメイヨシノ(染井吉野)という品種です。ソメイヨシノは、日本全国でよく見られます。ソメイヨシノが日本で最も愛され、全国に普及した理由は、圧倒的な花の美しさと、育てやすさに尽きます。
ソメイヨシノは、接ぎ木(つぎき)という方法で増やされています。接ぎ木の方法は、「10月27日に掲載した『サボテンの接ぎ木』と基本的には同じです。病気に強い品種の桜の台木に、ソメイヨシノの枝をつなげばよいのです。だから、打出中学校の桜の木を注意深く観察すると、上の方にはすべてソメイヨシノの花が咲いているのに、下の方から出ている枝には台木の花が咲いてしまっているものが見られます。
このように、公園や校庭に植えられている同じ品種の桜の木は、接ぎ木によって増やされています。そのため、全国のソメイヨシノはすべて同一の遺伝子を持っています。これと同様に、皇子が丘公園に植えられているハツミヨザクラも、すべて同一の遺伝子を持っています。このことから、皇子が丘公園に植えられている桜が一斉に開花したのです。なぜなら、人間に例えると、皇子が丘公園に植えられている桜の木々は「兄弟姉妹」の関係ではなく、すべて「私」なのです。遺伝的に同じなので、気温が同じなら咲くタイミングも散るタイミングも一緒です。
くり返しますが、全国のソメイヨシノはすべて接ぎ木で殖やされたものなので、同じ遺伝子を持っています。そのため、周囲の気温が同じであれば、背の高さや幹の太さなどに関係なく、一斉に開花するのです。したがって、気象庁が発表する「桜の開花予想」は、おもにソメイヨシノについての情報なので、滋賀県の「桜の開花予想」は、温暖な南部から寒冷な北部へと進んでいきます。
ところで、生徒の皆さんは、ソメイヨシノの名所といえば、どこを想像しますか。
おそらく、このあたりでは膳所城跡公園ではないでしょうか。膳所城跡公園はおよそ150本のソメイヨシノやヤマザクラが咲き誇る素晴らしい場所です。私も一度はお花見を経験したいと思い、友人と桜餅を携えて休日に出かけました。桜餅は、塩漬けの桜の葉でくるまれていて、いかにも「お花見」という感じです。桜餅の葉は、香りや殺菌、乾燥を防ぐなどの目的があり、葉を食べるか食べないかは、個人の自由です。葉の歯ごたえを楽しみ、葉の塩味であんこの甘みが引き立つので、まるごと食べる人が多いように思います。ところで、膳所城跡公園に着くと、私たちと同じように集まった人たちでいっぱいでした。桜の木の近くのよい場所がなかったので、湖岸に座って、松の木を見ながら桜餅を食べたのも楽しい思い出になっています。
そして、大津市のソメイヨシノの名所といえば、近江神宮や琵琶湖疏水、長等公園や三井寺など、数えればきりがありません。およそ1000本の桜が咲き誇る近江神宮、およそ140本の桜並木が川岸を彩る琵琶湖疏水、およそ900本の桜がある長等公園は、とても有名です。また、夜にライトアップされるところも多く、およそ1000本の夜桜が咲き誇る三井寺を訪れたときには、その幻想的な美しさにたいへん感動しました。参道に沿って桜並木を鑑賞して、とても幸せな気持ちになりました。
桜は、古くから豊作を祈願し、人の心をつなぐ存在だったそうです。花が散った後の葉桜は、来年の開花に向けて光合成をして栄養をたくわえるのです。満開の桜を見ると、新しいことの始まりの予感を感じます。卒業生の皆さんの進む道はそれぞれですが、夢と希望を持って力をたくわえ、未来で大活躍しているうれしいお知らせを心待ちにしています。
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2026/03/04
オーロラの凍るような思い出
私がとても尊敬している理科の先輩教員から、オーロラについての話を聞いたときのことです。「オーロラはすごいで! 雑誌の写真にオーロラが載っているけれど、実際に目で見るオーロラは全然違って、本当にすごいで! そのすごさは、なかなか伝わらないなあ…。例えば、そうやなあ。ひらひらしたカーテンの下に寝転がって、下からカーテンを見上げる感じ! カーテンのひらひらのように立体的で、オーロラは本当にすごいで! たくさんのカーテンが空一面につるされていて、空全部がオーロラのカーテンやったんや! しかもひらひらと本当に動いているんやで! 色も変わるんやで! 」
すぐに調べてみて分かったことは、オーロラは、光の絵ではなく、立体的に見えるそうです。とくに、カーテン状のオーロラが頭上に広がるときは、まるで光の柱が空から降り注いでいるような、強い立体感と奥行きを感じることができるそうです。しかも、オーロラは緑色が多いのですが、カーテン状のすその部分がピンク色に輝くなど、まるで生きているかのように劇的に色が変化するそうです。
調べれば調べるほど、一度はこの目で実際に見てみたいと思うようになり、どこへ行けばよいのかを探してみました。その結果、直下でオーロラを観察できるベストスポットは、カナダ、フィンランド、ノルウェーの観光地が有名でした。その中でも私がとくに行きたいなあと思ったのは、カナダのホワイトホースという観光地でした。そう思った理由は、次のようなキャッチフレーズがたいへん魅力的だったからです。
「天然温泉の露天風呂で、リラックスしながらオーロラを鑑賞することができます。」
海外旅行はハードルが高く、なかなか大変でしたが、ついに念願をかなえることができました。ところが、現地に到着してみると、オーロラはいつも出現しているのではないということでした。空が曇っていては見えませんし、晴れていていたとしても、オーロラが出現しているとは限らないそうです。私たちの前のツアーで参加している人たちは、今夜が最後で、3泊したけれどオーロラを見ることができないまま帰省しなくてはならなくなりました。また、私たちと同じツアーに参加している中にも、前回のツアーで見ることができなかったので、再チャレンジしている方もいました。オーロラが出現する時間は、夜10時〜深夜2時頃となっていて、深夜0時前後がピークを迎えるそうです。私は祈るような気持ちでそのときを待ちました。しかし、残念ながら初日と2日目の夜は、とうとうオーロラを見ることなく終わってしまいました。それでも、分かったことがあります。それは、露天風呂に入りながらオーロラを見ることなんて、不可能なのではないかということでした。
真冬の深夜の気温はマイナス30℃です。お風呂の湯温は42℃です。つまり、頭部はマイナス30℃で首から下は42℃という状態になります。生徒の皆さんは、この温度差にたえられますか? しばらくお湯につかっていると、目が痛くなってきました。瞬きをすると、眼球の表面が凍っていたようで、ぱきぱきと音がしました。頭部があまりにも寒くなったので、お湯の中に頭も沈めると、頭や顔が温められて最高に気持ちよかったです。ところが、事件はこの後に起こりました。生徒の皆さんはもうお分かりだと思いますが、髪の毛を決してぬらしてはいけなかったのです。頭部を水面から出すと、髪の毛に異変が起こりました。あっという間に髪の毛が真っ白に凍りついたのです。何やらごわごわするので、髪を触ると、ばきばきと髪の毛が取れてしまったのです。私はびっくりして、もう一度お湯の中に頭を沈めて、髪の毛を解凍したのです。そもそも、露天風呂の周囲は、湯気が立ちこめているので、夜空を見ることさえできませんでした。
このようなハプニングもありましたが、ついに3日目の夜にオーロラが出現しました。「オーロラが現れたぞ! 」という呼びかけを聞いて、すぐに防寒着を着て庭に飛び出すと、美しいオーロラが夜空に現れていたのです。すぐにデジタルカメラを構えて撮影を試みましたが、操作をしているうちに、低温障害により電源が入らなくなってしまいました。よく晴れていましたが、風が吹いているマイナス30℃の世界はとんでもないものでした。それでもオーロラは美しく、苦労してでも見る価値があると思いました。
さて、オーロラが出現するときには、一体何が起こっているのでしょうか。太陽表面で爆発がおこると、電気を帯びた粒子(プラズマ)が、太陽風となって地球に吹いてきます。この太陽風をまともに受けてしまうと、地球の大気が少しずつはぎとられ、最終的に空気が薄くなって、大気や水のない星になってしまうそうです。また、この粒子が直接地表に届くと致命的な影響を生き物に与えてしまうそうです。しかしながら、地球は磁場という強力なバリアがあり、この太陽風を防いでいます。しかし、一部の粒子は地球の磁場のはたらきで北極と南極の周辺へ引き寄せられ、上空で地球の大気と激しく衝突します。このときにオーロラができるのです。
オーロラが出現するときは、太陽風が地球に吹きつけたときです。そして、地球の磁場と大気に私たちが守られている証でもあります。
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