校長室より

2024/09/04
レファレント・パーソン(9/4)
 Referent person(レファレント・パーソン)とは、「尊敬できる人」という意味です。私たちは常にレファレント・パーソンの影響を受けています。行動の判断をするときに、本人に良い影響を与えてくれるばかりでなく、自己肯定感を高めてくれます。レファレント・パーソンとは、自分の在り方や生き方の価値基準の参考になる人物です。「自分はできない」「ダメかもしれない」「自信がもてない」と自己肯定感を低下させているとき、私たちは必要以上にネガティブになり、「できない理由」ばかりを探す思考に陥ります。そんな時は、尊敬する偉大なレファレント・パーソンなら「どう考えるか?」「どうアドバイスしてくれるか?」と視点を変えていくのです。

 私のレファレント・パーソンは、昨年度、和邇小学校に北海道からはるばる来てくださった植松努さんです。

 私は毎年、植松努さんの講演会(有料)に参加しています。今年の夏休みにも、植松努さんの話を聞いてきました。

 これからの時代を生きる子どもたちに付けたい本当の力とは何か、をじっくり考える機会をいただきました。話の一部を動画にまとめました。40分ぐらいあります。お時間があるときに、ぜひご覧ください。(下のURLをおしてください。)

http://www.otsu.ed.jp/wanie/douga/uematututomu2024.mp4

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2024/08/06
パリオリンピック・パラリンピック(8/6)
 パリでは世界一という高みを目指して、熱戦が繰り広げられています。オリンピック閉幕まであと5日ほどとなりました。パラリンピックについては、8月28日から9月8日までの開催となります。こちらも、世界各国で練習を積み重ねた選手の熱い戦いが期待されています。

 日本にとって、注目種目、注目選手が報道され、眠れない夜を過ごしている人もいるかもしれません。特に、自分が経験したスポーツなどは、その技のすごさに圧倒されます。

 4年に一度の平和の祭典と呼ばれるオリンピック、東京大会が異例の延期、無観客で、あれから3年ぶりの開催となりました。

 パリでは、なんと1900年と1924年にオリンピックが開催されていますので、ちょうど100年目の記念すべき年の開催となりました。1900年とは、随分昔のようですが、オリンピックの発祥は第1回大会:1896年アテネ大会です。4年に一度ですから、100年間で25回しかありません。今回のパリオリンピックは33回目となります。

 そもそも、開会式はスタジアムで行うことが常識とされていましたが、驚いたことにセーヌ川で行われ、これからの時代、過去の常識にとらわれない柔軟な発想がいかに大事かを考えさせられました。

 今回のパリオリンピックは、32競技329種目が実施されていて、約1万人の選手が参加しています。(今回と書いたのは、オリンピックによって、採用される種目が異なります。)329組の金メダルが授与されるそうですが、金・銀・銅のメダル獲得に至らなかった多くの選手の努力にも思いをはせることが必要です。(そもそも、国の代表選手として数々の国内予選を突破してオリンピックに出場できることがすばらしいことですから)

 躍動する選手の姿を目に焼き付けて、将来オリンピック選手になり、金メダルを取るんだ、という夢を追い続ける和邇小学校の子どもたちでいてほしいですね。

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2024/07/05
七夕の夜に(7/5)
 7月に入ると、お店などの店頭に笹の葉を飾りはじめ、短冊に願いを書いて笹にかけている光景を見かけます。


 毎年7月7日の七夕の日だけ、天の川で織姫と彦星が会えるという話を絵本などで読んだ人も多いと思います。七夕はとてもロマンのある行事です。和邇小学校の装飾委員会が、笹に飾りをつけて、渡り廊下に飾ってくれました。

 七夕の由来は、中国の伝説からきているそうです。この伝説は、ある2つの星が毎年7月7日に接近することにちなんで作られました。

 昔、天の川の西岸に織女(しゅくじょ)というお姫様が住んでいました。お父さんである天帝も、織女をとてもかわいがっていました。そんな天帝は娘にぴったりの婿を探していました。東岸に住む勤勉な牛遣いの牽牛(けんぎゅう)の話を聞き、天帝は2人を引き合わせます。2人は惹かれあい結婚することになりました。ところが、結婚すると働くことをしなくなってしまったのです。怒った天帝は2人を引き離してしましました。しかし、悲しむ2人の様子を見た天帝は、七夕の日だけ、天の川で2人が会うことを許したといわれています。


 織女は「ベガ」、牽牛は「アルタイル」という星をさしています。この2つの星が、年に一度だけ、7月7日の夜に接近することが、この伝説の由来となりました。星は、私たちに多くの想像をもたらしてくれます。


 さて、「なぜ、笹を飾るの?」という疑問が残ります。


 この中国の伝説が日本に伝わったのが奈良時代です。日本にはもともと夏に行われていた神事がありました。いずれもお供えをして秋の豊作を祈るというものです。笹は元来、神聖なものとして扱われ、笹は、神様への願い事を書いた短冊をひっかけるのにふさわしいと考えられるようになりました。


 短冊に願いを書くようになったのは江戸時代になってからです。もとは寺子屋で学ぶ子どもが文字の向上を願って書いたのがはじまりです。


 みなさんは、どんな願い事を書くのでしょうか?

 7月7日の日の入りは19時14分、予報は晴れです。

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2024/07/01
びわ湖の日(7/1)
 今日7月1日は「びわ湖の日」です。私の住んでいる地域では、今週末の日曜日に、河川清掃があります。この7月1日前後には、滋賀県内の各地で、清掃活動などのびわ湖を守る活動が行われ、多くの人が参加しています。


 私が小学生の頃は、琵琶湖の水質は良く、県内各地には「水泳場」があり、夏休みを中心に賑わっていました。市民プールはなく、びわ湖で泳ぐということが定番でした。その後の経済成長により、河川や琵琶湖は汚れ、水泳場に代わり、海やプールで泳ぐのが通常になってきました。合成洗剤に含まれる「りん」により淡水赤潮が大発生したこともあり、粉石けんを使おうという運動が起こりました。

 
 あれから約半世紀、河川やびわ湖は、随分ときれいになりました。びわ湖の日ができたのが1980年ごろですから、ちょうど45年前になります。滋賀で暮らす人々の「びわ湖を守りたい」という思いが着実に成果として現れています。未来を生きる子どもたちに、美しいびわ湖をバトンタッチし、地球環境規模で今の生活を見つめ直す、今日の「びわ湖の日」をそんなきっかけにしてほしですね。


 さて、Mother Lake Goals (マザーレイクゴール)(MLGs)のことは、広く一般的になってきました。先日の5年A組の研究授業においてもテーマとして取り上げてきました。

 「びわ湖」を切り口とした2030年の持続可能社会へ向けた目標(ゴール)です。MLGsはSDGs(Sustainable Development Goals)(エスディージーズ)(持続可能な開発目標)のびわ湖版として、独自に13のゴールを設定しています。


 毎年冬に琵琶湖の北湖で見られる全層循環が、2018年度の冬季に観測史上初めて確認できなかったことから、琵琶湖の環境保全の大切さが大きく報じられました。つまり、琵琶湖の生態系に大きなダメージを与える酸素供給が滞ることにより、魚をはじめ琵琶湖の生き物に大きな影響を及ぼしたことになります。


 これは持論ですが、「びわ湖は誰のためにあるものでしょうか?」「山や森は誰のためにあるのでしょうか?」という問いかけに、「びわ湖は人間のためにあるのではありません。それは、そこにすむ生き物のためにあるのです。」「森はそこにすむ生き物のためにあるのです。」


 人間は、どうしても自分たちに都合がよいように自然を扱っているように思います。びわ湖は、その流域に住む人々の暮らしを映す鏡です。湖岸に映し出される景色は、みなさんにはどう映っているでしょうか。びわ湖の環境保全は、単に1つの湖を守るためのものではなく、広く地球規模で考える環境保全であると思います。地球温暖化の影響は、未来を生きる子どもたちに避けて通れない道筋だと思います。


 この「びわ湖の日」を、環境を考える良き日となりますように、祈っています。

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2024/06/24
自ら課題を見つける力(6/24)
 これは、最近、実際にあった話です。

 4年生の秋みつけ(和邇公園)(今から1年半前)で、児童たちと私との会話です。(児童は今、6年生です。)

 児童:「和邇公園は小さい頃からいつも遊びに来ている公園なんだけど、時々ゴミが落ちていて、困っている。拾ってゴミ箱などに捨てているが、いっこうに無くならない。」

 私:「ふーん、ゴミを片付けるとは、いいことしてるね」と返しました。そして、どうしたらいいかという話になりました。

 私:「どうしたらいいと思う?」

 児童:「ポスターなどを貼って、ゴミをなくしたい。」

 私:「勝手にポスター貼ってもいいのかな」

 児童:「どこに相談したらいいか分からない」となった。

 そこで、相談相手と貼っても良いか、については私が引き受けるから、また分かったら伝える、ということで、継続審議となりました。和邇公園は大津市が管理しているので、担当課に聞いてみると、「そういう趣旨なら、最後までポスターを管理するという約束で貼っても良い」といことになりました。

 そのことを、児童たちに伝えると、「ポスターを描きたい」、ということになり、まず、現地に貼る場所を探しに行きました。複数の子が放課後の時間を合わせることは難しく、月日が流れていきました。ようやく、貼る場所と、枚数、方法を検討して、ポスターを各自で描くことになりました。この間、約1年間。

 出来上がったポスターをラミネート加工し、紐を取り付けて、貼りに行く日を調整しました。

 そして何と、先日、貼り終えることができました。めでたし、めでたし。



 この出来事を、この文章を読んでくださっている皆様は、どうお感じになられたでしょうか。



 予測困難なこれからの時代に、たくましく幸せに生きていく力を身につけさせていきたい、と、私たち教育に携わる者は考えています。そのために必要な力とは・・・・・「自ら課題を見つけ、周囲と協働しながら、課題解決に向かっていく力」です。


 今回の出来事に照らし合わせてみると、子どもたちは、日常に潜む課題を自ら見つけています。そして、友達数人と、どうしていくことができるかを相談しています。ゴミをする人は、いるもんだからあきらめよう、などと、前に進むことを最初からあきらめることをしていません。そして、解決に向けて協力者(私)を利用することを考えました。まさに協働する姿です。そして、自分たちでできることを、自分の大切な時間をさいて取り組んでいます。結果、ポスターは貼れましたが、これで本当にゴミが少なくなっていくかは、これからです。ポスターも自分たちで管理(取れたり、はがれたりしていないか)していかなければいけません。


 私は、この児童たちが、「善い行いをした」という観点で記事に載せたのではありません。「この子たちは、将来に向かって、たくましく幸せに生きていくんだろうな」といった気持ちにさせられたからです。大人である私でさえ、人が見ていなければ(ゴミを捨てる、とまではしなくても)マナー違反などといった心の弱さを持っているように思います。

 「主体的に生きる」などと言われますが、物事をあきらめることなく、まず実行してみる、失敗したら、次はどうしていこうかなと考える、周囲の人と協働する、もしかしたら、私たちにでも、社会を変えるきっかけをつくることができる、こういった「生きる力」を子どもたちに育んでいけるような教育環境づくりに邁進していかなければならないと、決意を新たにした出来事でした。

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2024/06/17
実体験を通して学ぶ(6/17)
 タブレット端末をはじめ、デジタルの学びが膨らんでいます。検索をすれば、正しいか間違いかはともかくとして、多くの情報を瞬時に得ることができます。AIの台頭とともに、教育の世界も、今大きく変わろうとしています。

 一方「百聞は一見に如かず」ということわざのように、私たちは言葉で何かを説明されるよりも実際に見て、触れて、体験する方がずっと理解しやすいものです。特に、幼児期や学童期は五感を通して物事を体験することによって、さまざまな概念を体得していく時期です。

 大人は文章から内容を捉えたり、文章に書かれていないことも過去の経験から補ったりできますが、子どもたちはそういうわけにはいきません。子どもたちが物事を知るには、実物に触れるということがとても大事です。これを私は「本物に触れる」体験と呼んでいます。

 例をあげてみます。

 自然科学の観点から身の回りの環境に親しむには、積極的に体験学習を行います。花の構造を知るためには、模型や絵を使うだけでなく、戸外に行って本物の花を観察する、魚の生態を知るには、実際に川で魚取りをして飼育する、などです。

 教師は子どもの疑問には直接答えず、自分で納得する答えを見つけられるように手伝う、答え探しから、疑問探しに転換する。

 けんかは、教師中心に解決するのではなく、子ども同士で解決できるように、手助けをし、自分自身が納得するために、自己決定する場を持つ、などです。


 子どもたちは、もともと楽しむ名人です。大人がうまく関わることによって物事の「面白いところ」や「不思議なところ」を自ら見つけて表現するようになります。私たちは、つい「学び=机で勉強すること」というイメージをもっていますが、身の回りの何気ない体験から気づきや発見を得ることが、子どもたちの幸せな未来にとって必要不可欠だと思います。

(下にあるロゴは、CANVAで作ったオリジナル作品です)

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2024/06/06
人とつながること(6/6)
 6月はいじめ防止啓発月間です。「いじめ=弱い者いじめ」と認識していたのは、過去の時代のことです。いじめ防止対策推進法でいじめの定義がされています。

 「いじめ」とは、一定の人間関係にある児童が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)であって、行為の対象となった児童が心身の苦痛を感じているものをいう。


 いじめようとか意地悪やいたずらをしてやろうという気持ちが全くなくて、遊びのつもりであっても、また、何も自覚しないでしていることでも、さらには善意のつもりでしていることであっても、誰かの心や体が傷ついたり嫌だなと感じたりしたら、それはいじめだということです。


 法律があろうとなかろうと、いじめはだめな行為です。子どもの感覚や価値観はそれぞれ違うので、「そんなことが嫌だったの?」「自分なら平気なのに」「冗談のつもりなのに」「楽しいことなのに」・・・ということもよくあります。相手への思いやりの欠如からくるものだと感じます。

 社会生活を営む上で、自分の思いどおりにならないことがあって当然だと思います。学校は、教科の学習や特別活動などを通して学び、成長する場です。同時に、集団のなかで自分の思いどおりにならないことにどう折り合いをつけて受け入れていくか、どう克服していくかを学ぶ場でもあります。

 学力や運動能力等も個人差があり、価値観も生活習慣もさまざまな子どもがいるなかで、子どもたちが(大人も)心折れずに、いろいろな人と豊かにつながっていくことをめざしていくのです。

 和邇小学校の学校教育目標は「和邇を愛し、心豊かに友とつながり、学び合う」です。人とつながること、人の気持ちを想像すること、人の痛みがわかること、を目指していきます。

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2024/05/31
生きる力 (5/31)
 「我が子には、失敗や辛い経験はさせず、まわり道やより道をさせることなく、健やかに成長してほしい」と親が考えるのはごく自然なことだと思います。親自身が苦労してきたので、「この子にはそんな思いをさせたくない」と真剣に思うものです。

 しかし、子どもたちの成長を少し長い目で考えたとき、一人の子どもに成功体験ばかりが続いていくことは まずあり得ませんし、その子にとっての「よい環境」が将来にわたってずっと用意されていくということも考えにくいことです。

 たとえば、将来、自分の子どもがある会社に就職したとして、親が我が子のために「良い上司」「良い仲間」「良い顧客」を用意してあげられるでしょうか。また、将来の「良いパートナー」や健やかに育ってくれる「良い子」を用意してあげられるでしょうか。

 できることは、はっきりしています。我が子に「生きる力」が身につくよう考えて、子育てをすることです。いろいろな人とのかかわりを持ち、多くの価値観に触れ、時には泣いたり怒ったりしながらも、我慢をしたり自分の役割や責任を果たしたりしていくこと。

これは、子どもの頃から少しずつ身に付けていかなければならない力であると思います。

 和邇小学校の子どもたちは、今後も様々な人との出会いのなかで、仲間と協力したり、あるときはぶつかったり、折り合いをつけたりしながら、やさしさと強さを兼ね備えた「生きる力」を培ってくれるものと信じています。

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2024/05/20
失敗は成功のもと (5/20)
 民間の小型ロケットの打ち上げが失敗したというニュースが流れ、見学者から落胆の声が聞かれたというニュースが随分前にありました。期待が大きかっただけに、打ち上げ失敗はとても残念であったように思います。と、なるわけですが、、、。

 昨年度、北海道からはるばる来校いただいた植松努さんは、講演の中で、「失敗はデータなのです」と言い切りました。つまり、失敗を繰り返す中で、今までできなかったことができるようになる、むしろ失敗を恐れず挑戦しよう、ということを私たちに訴えてくださいました。「失敗は成功のもと」とは、実に良く言ったものだと感心します。

 自転車に初めて乗る時、いくら理論を教えてもらっても、自転車にうまく乗れるようにはなりません。まず自転車に乗って、後ろを支えてもらったり転んだりしながら、自分で体得していくものです。

 失敗しないように知識をつけてからその知識をもとに行動するのではなく、まず行動して必要な知識を身につける。これが生きる力の学び方、そして、子どもたちが最も得意とするところです。

 「自分ならできる」「どんなことでもなんとかなる」と信じて、一歩を踏み出すこと。誰も成功したことがないことにでも、はじめの一歩を踏み出せるというのは、すばらしい能力です。

 もちろん失敗もあると思います。けれども、その失敗こそが次のステップに上がっていくために必要なものです。

 失敗もしない、嫌な思いもしない、恥ずかしい思いもしない、辛い思いもしない、後悔もしない・・・。そんな生活で、強くやさしい大人にはとうていなれません。子どものうちに大けがにならない程度の失敗を経験するのは大事なことです。大人の管理の下で、どんどんチャレンジできるのが学校なのだと思います。

 まず実体験、それから知識を身につけるという順番。チャレンジし、意欲的にがんばり続けていく。こういったことを大事にした教育計画を実行していきたいと思っています。

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2024/05/15
教師って  大人って (5/15)
 私たち大人は、こんな子に育てたいとか、こんな子になってほしいとか、願いを持ちながら子どもたちと関わっています。そして、学校でもこの学年ではこんな力をつけさせたいという目標に向けて、必要な学びや経験の場を設定しています。


 子どもはもとより、大人である私たちも、社会生活を送る上で不安が高かったり、自分で決められなかったり、何かの行動を期待されたときに尻込みしてしまったり、人に依存したり、反対に自分勝手な面が多いと感じたり・・・と、何らかの特性を持っているものです。

 そして、それは成長過程において、大人との関わりが影響している場合が多いと思います。子どもの言動の中に担任や親である自分がしたり言ったりしていることを見つけることが結構あるのではないでしょうか。


 大人が子供のためにできることは限られています。そこで大事な視点は、「見守る」ということかと私は考えています。

 子どもが失敗しそうになったとき、先回りして失敗を回避せず、自分で考えて取り組む場を大事にすること、上手にできなくても試行錯誤しながら取り組む姿を口出しせずに見守ること。


 そして、失敗したりうまくいかなかったりしたときに前向きになれるような声かけをすることを心掛けていきたいと思います。そのとき、能力や成果を指摘するのではなく、努力や頑張りを認めることが大事であると思います。

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