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■ 譲る気持ちがあるのに2024.11.20

 今日の5時間目に2年1組で道徳の研究授業がありました。大津市内の中学校の先生、真野中学校の先生20名が参観をしました。

 内容は「譲る気持ちはあるのに」でした。2つの話を授業の中で取り扱いました。

 1つめの話は「満員電車の中で」でした。中学生の信が通学の時に利用している電車はいつも混んでいる。今日は運良く座れた。優先座席には学生や会社員が座っている。次の駅で妊娠をしている女性が入ってきたが誰も席を譲ろうとしない。自分が席を譲ろうと思ったが声を出すことができなかった。

 2つめの話は「近頃の若者は捨てたもんじゃない」でした。私は日頃はデスクワークばかりだが今日は長時間立っていたので辛かった。2つめの駅で座ることができた。ある駅で妊娠している女性が乗ってきた。席を譲ろうかと考えていると、高齢のご夫婦が「どうぞ座ってください」と声かけながら立ち上がろうとした。私も「どうぞ」と言って、立ち上がろうとした。すると若者が「僕が譲りますから座ってください」と言った。結局、若者と私が席を譲ることになった。みんなニコニコしていた。

 席が譲れなかった信の思い、席を譲れた思いに自分自身に置き換えて一人で、ペアで考えました。続いて、席を譲る人、席を譲られる人、その場に居合わせた人をグループで分担を決めてロールプレイをしました。みんな、自分の考えをしっかり発表することができていました。ロールプレイもそれぞれの立場になりきって言葉を伝えたり、行動で表すことができていました。

 今日は葛藤の場面がいくつもあり気持ちを揺さぶられた人もいたのではないでしょう。

 以前、「行為の意味」の詩を紹介しました。

  あなたの心はどんな形ですかと
  人に聞かれても答えようがない
  自分にも 他人にも心は見えない
  けれどほんとうに見えないのであろうか

  確かに心はだれにも見えないけれど
  心づかいは見えるのだ
  それは 人に対する積極的な行為だから

  同じように胸の中の思いは見えないけれど
  思いやりは見えるのだ
  それは 人に対する積極的な行為なのだから

  あたたかい心が あたたかい行為になり
  やさしい思いが やさしい行為になるとき
  心も思いも、初めて美しく生きる
  それは 人が人として生きることだ

 人を思う「心」や優しい「思い」は行動に移すことができるようになりたいものです。そうすれば「辛い」思いをする人や「悲しい」気持ちになる人をなくすことができるようになる野ではないでしょうか。