今日の給食は「カボチャのポタージュ」に「カボチャのパン」。まさにカボチャ尽くしです。ハロウィンをテーマにした給食でした。甘い野菜(根菜)が苦手な私のような人は、ちょっとため息をついた中学生もいたかもしれません。 でも、なぜハロウィンにカボチャなのか?調べてみると、その理由はアイルランドの伝承「ジャック・オー・ランタン」にあるそうで、もともとアイルランドでは「カブ」をくり抜いてランタンを作っていたそうで、オランダからアメリカに移住した人々が、手に入りやすくて大きなカボチャを使うようになり、それが定着したそうです。 ところで、カボチャは昔からこんなに甘かったのでしょうか?バーベキューなどで食べるカボチャは『黄金の味』の助けもあってちょうどいい甘さなんですけど、今のカボチャは甘すぎると思います。(サツマイモも甘くてねっとりしていますよね) 答えは「いいえ」だそうです。日本に伝わった16世紀のカボチャは水っぽく、甘みは控えめだったそうです。今のようにホクホクで甘いカボチャは、明治以降にアメリカから西洋カボチャが入り、昭和後期に品種改良が進んだ結果だそうです。つまり、江戸時代の人は甘いカボチャを食べていなかったのです。 それに、何でもかんでも甘い方が良いという発想は万人受けするのでしょうけど、私のような偏屈者のマイノリティにはつらい。ミカンでも何でも甘すぎて、温州ミカンも甘すぎる。私の好む皮がぶよぶよで水っぽいものは、糖度センサーではねられて市場に出てきません。 季節の食材を味わうこと、文化を知ることは大切な学びです。ただ、何でもかんでも甘いのを好むとは限らないと声を大にしたい。 とはいえ、甘さの追求は時代の流れ。糖度センサーや品種改良は「おいしさ」を数値化し、わかりやすくした結果です。でも、その「おいしさ」が必ずしも全員にとっての幸せとは限りません。食の多様性を守ることも、文化の一部だと思いますし、食育だと思います。
カボチャのポタージュを前にして、そんなことを考えました。ハロウィンのカボチャには、移民の歴史や食文化の変遷が詰まっています。甘さにため息をつきながらも、こうして一皿から世界を知ることができるのは、やっぱり面白い。
ただ一言、声を大にして言いたい。 「甘さは正義」じゃなくてもいい!むしろ、たまには「甘くないカボチャ」や「水くさいミカン」にもスポットライトを!」 ――そう思いながら、カボチャのパンを3分の1かじりました。甘すぎて、「お前、スイーツなん?」と心の中でツッコミましたけどね。
(残りのパンは、瀬田中の池の鯉にあげることとにします。)
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