■ 新池掘りに尽力・堀池茂雅(2)2010.4.19

よみ〔ほりいけ しげまさ〕

藩は、茂雅を責め、罪を問いましたが、村民が連署して赦免を嘆願したことから、藩も罪を許して、更に工事を進めさせました。

こうして文政3年(1820)、総工費600両を費やして、鶴池(面積2町1反2畝)、中池(面積1町4反6畝)、新池(面積9反6畝)が完成し、以来、中庄村の水不足は解消されました。

藩主は、茂雅の功を賞し、羽織を与え「堀池」の苗字使用と帯刀を許しました。

完成の翌年、茂雅は亡くなります。

嘉永3年(1850)、遵義堂頭取黒田扶善の選による「三池記」の記念碑が、池の傍らに建てられています。


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