■ 半生を植林に尽くす・加藤九蔵(2)2010.3.17

よみ〔かとうきゅうぞう〕

その後、木下谷の杉林は、灌漑用水の水源となり、木材は、安政元年(1854)6月の大地震で壊れた、膳所城や藩校遵義堂の修復などに用いられました。

明治となり、杉林も荒廃しましたが、明治14年当時には、周囲7尺(約2.1m)の杉の大木が500本もあったと言われています。

文化5年(1808)、九蔵が亡くなってからも、功績を記した木札が建てられ、今も御用池の近くに、杉浦重剛揮毫の「餅九蔵植林記念碑」が建てられています。


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