■ 膳所茶と太田重兵衛(2)2010.3.17

よみ〔ぜぜちゃ〕〔おおたじゅうべえ〕

膳所藩では、重兵衛に命じて、安政2年(1855)までに膳所城南方の園山を開墾し、茶畑をつくらせました(園山茶園)。
重兵衛は、茶舗を「龍井堂」と名付け、「松風」「仙掌」「おものが浜」などの茶を生産しました。
これらの膳所茶は、信楽焼の茶壷に入れられ、初めてアメリカに輸出されました。
重兵衛は、茶師となり、大津町(丸の内町)に茶会所を設けます。

また、晩年には、膳所村庄屋相談役となり、村政に尽しましたが、明治2年(1869)、農夫の逆うらみによって殺害されてしまいました。
亡骸は、清徳院墓地に葬られています。

太田家には、今も、岩倉具視が贈った「念仏園」の扁額〔へんがく〕と、関研揮毫〔きごう〕による「龍井堂」の扁額が残されています。

*大津は、滋賀里にあった梵釈寺(崇福寺)の僧永忠〔えいちゅう〕が、嵯峨天皇に茶を煎じて奉ったという記録(『日本後記』弘仁6年(815)4月22日条)から、喫茶発祥の地だと言われています。
また、後に遠州七窯(大名茶人小堀遠州好みの窯)に数えられる膳所焼や重兵衛の膳所茶などもあり、大津・膳所は、古くから茶とかかわりの深いまちだと言えましょう。


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