■ 膳所茶と太田重兵衛(1)2010.3.17

よみ〔ぜぜちゃ〕〔おおたじゅうべえ〕

膳所藩の下級武士であった太田家は、初代重兵衛が信仰心に厚く、念仏重兵衛と呼ばれています。

文政元年(1818)生まれの五代目重兵衛は、士籍を子に譲ると、自らは農事に精を出しました。
宇治で茶の栽培と製法を学び、柿が坂の荒地を開墾して茶の栽培を始め、「柿の本」「無銘」などの良質の茶を生産しました。

時に嘉永6年(1853)、ペリーの率いる黒船が来航し、幕府に開国を迫ります。
幕府は、林大学頭〔はやしだいがくのかみ・復斎〕を全権に、膳所藩定府の関研(藍梁)らを書記官として、艦艇に赴かせました。

この時、ペリーがコーヒーに代る飲み物がないかと尋ね、関が重兵衛の茶を出したところ、ペリーはその香味をほめ、生糸とこの茶を輸入したい、と述べたと言われています。


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