■ 文明開化を導びく・黒田麹蘆(2)2010.4.19

よみ〔くろだ きくろ〕

麹蘆は、文久2年(1862)から4年間、幕府の開成所(洋学教育研究機関)で、英独仏語を習得し、研究にはげみます。

そして慶応元年(1862)、膳所藩に呼び戻され、藩校遵儀堂の教授となりました。

慶応4年には、福沢諭吉の「西洋事情」に手を加えた『増補和解西洋事情』を出版(別冊附録1冊に福沢本の不備を補う)。

福沢に、「今日において恐るべき事は、ただ一つ黒田あるのみ」と言わしめています。

麹蘆は、単なる翻訳家でなく、文明開化の主唱者、蘭・英・独・仏語などの語学の天才で、『新暦明解』『政体新書』『民法大意』『万国商売往来』『西洋料理新書』『養蚕新説』をはじめ、『ベンガル文典』『リグ・ヴェーダ』(インド最古の聖典)の翻訳など、実に110種もの著書・訳書を著しています。

麹蘆は、明治25年に亡くなり、膳所岡山共同墓地に埋葬されました。

地元膳所では、麹蘆顕彰会が結成され、御殿浜の本多神社境内に記念碑が建立されています。

*麹蘆に対する評価は、これまで亀田次郎(「黒田麹蘆の業績と其著書」京都大学文学部芸文大正15年10月号)を除き不十分でしたが、平田守衛(『黒田麹蘆の業績と漂荒紀事』平成2年京都大学学術出版会)によって、ようやく高く評価されるところとなりました。


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