校長室より

2018/12/10
鳥の目・虫の目・魚の目
前回、「鳥の目」と「虫の目」が必要、と書きました。
(似たものに「木を見て森を見ず」「森を見て木を見ず」などがありますね。)

先の2つに「魚の目」を加えて、
物事を見るときに使いたい「3つの目」とされることもあります。

全体の把握は、鳥の目。「高いところから全体像を把握する。」
部分の把握は、虫の目。「足元を見つめ直す、課題に対して要因分析をする。」
流れの把握は、魚の目。「時代の変化・潮流を感じ取る、流れを見る。」

常に3つの目を持っていたいものです。
2018/12/07
集団の教育力
学級や学年の単位は大事です。
音楽会や運動会の取組み等、子どもたちと教職員が一生懸命努力し、
大きな事を成し遂げる様子はとても尊いことですし、
校長として涙が出るほどうれしいものです。
(学校だよりにもそのように書いています。)

集団の教育力の大きさは、私自身が身にしみて理解していますし、
今後も大事にしていくべきものであると強く思っています。
多くの教員にとっても、
喜びや充実感を感じる指導場面であることは間違いありません。

一方で、集団になじめない子どももいます。
その子たちにとっては、ことあるごとに集団への適応を求められることが
息苦しくなっている可能性もあります。
もちろん、「友達が多い」「みんなと仲よくできる」等は長所として褒めるといいのですが、
「友達が少ない」「一人でいるのがすき」等が悪いかと言えば、そうとは限りません。

学級の仲間のつながりを深めることはとても大切です。
ですが、私たちはそういう子どももいることを忘れてはなりません。
私たち教員(大人)には、「鳥の目」と「虫の目」が必要です。
視野をひろげ、視座をあげる!
2018/12/05
人権週間 12/4〜12/10
明治以降、私たちは「一人ひとりは違うこと」や
「その中でお互いを尊重すること」の大切さに気づいてきました。
そして人への思いやりや違う価値観の人同士がともに生きることの大切さに気づき、
人を排除したり差別したりすることはいけないことだと学んできました。
そして、それは私たち一人ひとりの努力によって成り立つということも、
一定浸透してきているように思います。

しかし、平成28年度の滋賀県人権に関する意識調査(下のグラフ)
の結果を見てもわかるように、
人権が尊重される社会の実現に向けての考え方で、
過去10年間で「なりゆきにまかせる」「特に考えていない」と
回答している人の割合が増加し、
「自分も実現に向けて努力したい」という回答の割合が大きく減ってきています。
格差社会、自己責任社会の中で、一人ひとりの努力で
人権尊重の社会を作っていこうということにまで
意識や行動が結びつかないような余裕のなさが伺えます。

子どもたちの社会も同じではないでしょうか。
学力や学校間格差についてやたら競争をあおる風潮、将来の職業選択への不安、
自分さえよければいいという雰囲気の中で、心ない言葉が飛び交うことも珍しくありません。
ネット上でもそういう言葉が横行している現状もあります。
たとえそれが少数であっても、
そのような言葉が飛び交う空間では、正しい人権意識が育まれにくいものです。
子どもは特に、現実と仮想空間との棲み分けがうまくできません。
ですから、これまで築いてきた人権文化を後退させるような言葉や態度には、
大人が毅然とした態度で指導していくことが必要です。

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2018/12/02
人権を学ぶ
公共の電波を使った放送や公の場での言葉遣いに敏感な時代がありました。
その時代、放送禁止となった歌も多くありましたし、
放送禁止用語辞典なるものがあって、
放送で使ってはならない言葉や違う言い回しなどが徹底された時期でした。

差別を助長しかねないことについて、みんなで規制しようとしてきたことは、
その当時にあった人権意識を変えるのに一定の役割を果たしてきた部分もあります。
反対に、表現の自由を奪われたことや、
一部の思想を押しつけられたのではないかという批判もあります。
どちらが良い悪いではなく、大事なことは社会に自由な発言を尊重しながらも
差別をなくそうという意識が定着したかどうか。

社会の人権意識が育ってくれば、禁止しなくても言ってはいけないことは言わないし、
相手の気持ちを考えたら軽々と言えないことなどいくらでもあります。
これまでの様々な取組や教育を通して、
私たちは今の社会の人権意識を育ててきたはずです。
しかしながら、ヘイトスピーチやSNSなどで
明らかに差別にあたるような書き込みがある現実をみると、
まだまだ成熟した社会とは言いがたい現状があるのも事実です。
だからこそ、人権を学ぶということを続けていかなければならないのです。
2018/11/28
言葉を磨く
言葉はその時々に風のように過ぎていきますが、
いつまでも消えずに心に残り続けるものもあります。
自分を勇気づける言葉であったり、傷つけられた言葉であったり。
他の人にはそれほど記憶に残らない言葉でも、
自分にとっては生き方にかかわる重要な意味を持つものも多くあります。
そうだとするなら、やはり一言一言には責任が伴います。

子どもたちはまだまだ発達途上ですから、
思ったこと、感じたことなど、そのまま言葉にして相手を傷つけてしまうことがあります。
そのとき、大人が立ち止まらせて、その言葉の重みや
相手がどのように受け取るか想像することなどを教えていくことが大切です。

人を元気づけるのも傷つけるのも言葉です。
植物が光を浴びて育つように、人は言葉を浴びて育ちます。
普段からきつい言葉が飛び交うなかで過ごせば、心は不安定になります。

親子だからといっても、言ってはいけない言葉は当然あると思います。
子どもの時に言われたことがずっと心にひっかかって、
大人になってもその感覚が抜けないということもあるかもしれません。

そんなことを思えば、大人が正しく学び、正しく言葉で伝える責任はとても大きいといえます。

私たち大人がきちんと認識し実践していくこと。
子どもたちに毎日かかわる者として、特に注意していなければならないことです。
2018/11/26
いのちの旅
『葉っぱのフレディ −いのちの旅−』 レオ・バスカーリア 童話屋

昔、友人からもらいました。
私が手にしたときよりちょっと遅れて、絵本としては異例の売れ行きをみせました。
この本をくれた友人の感覚に鋭さを感じたものでした。

原本は1982年にアメリカで出版されました。
アメリカの著名な哲学者バスカーリア博士が書いた、ただ一冊の絵本。
「この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと、
 死について的確な説明ができない大人たち、
 死と無縁のように青春を謳歌している若者たち・・・へ」とはバスカーリア博士から。

扱うテーマは、「死」「命」です。
「死」は自然の循環のなかの1コマであり、「命」は永遠なのだ。
という作者のメッセージが静かな語り口からしみじみ伝わってきます。

フレディが葉っぱとして生きた間、
彼を満たしたのは美しい日々の記憶であったり、
仲間とかわした言葉や誰かの役に立った記憶だったり。

そういうことを積み重ねていられたら・・・と思います。
2018/11/22
セッちゃん
(『ビタミンF』 重松清 新潮文庫 所収 )ずいぶん前に読んだこの本。
先日の県教委主催 いじめ防止の研修会で取り上げられていました。

この話は、生徒会長にも立候補する学校でもリーダー的存在の
自慢の一人娘・加奈子を父親の視点で描いています。
加奈子は、学校での出来事を何でも家で話す明るい中学2年生。
ある日、同じクラスの「セッちゃん」の話題が出ます。
転校生の「セッちゃん」は、クラス全員に嫌われていて、
誰にも口をきいてもらえないのだとか。

運動会が近づき、クラスでも創作ダンスの練習が始まりました。
創作ダンスの内容が変更になり「セッちゃん」だけにはそれが伝わらずに、
まえの振り付け通りに踊ってしまいます。
たった一人だけ別の行動をとります。
それに気づき彼女は必死にみんなに合わせようとしますが上手くいきません。
その時の「セッちゃん」の様子を事細かに語る加奈子に
「もういいよ、やめろよ。」と父親は話をさえぎります。
すると加奈子の反応が変わります。
「おとうさんは、そういう嫌な話、聞きたくないんだ。」
「だって、それが現実だもん。」と悪びれた様子もありません。
「それじゃかわいそうじゃないのか。」と父が言うと
「かわいそう、同情とかって、ほんとうは残酷なんだってよくいわない?」
「みんなセッちゃんのこと、いじめているわけじゃない、嫌っているだけだもん。
 いじめは悪いことだけど、誰かを嫌いになるのって個人の自由じゃん。」
加奈子の言葉に両親は唖然としてしまいます。

加奈子に止められていたにも関わらず、運動会を見に行った父と母は、
ワンテンポ遅れて踊る我が子を見ることになります。
いままで加奈子が語っていたのは全部自分のことだったのです。
いじめられている自分を架空の転校生「セッちゃん」に仕立てて、
作り話のなかに逃げることでどうにか割り切っていこうとしていたのです。
話はもう少しだけ続くのですが、考えることは多い・・・です。

いじめ防止は重要な教育課題。
瀬田東小学校の教職員全員で「いじめ防止対策の要点」を再度学習し、確認しています。
子どもたちみんながクラスの仲間とのつながりを深め、
誰にとっても居心地のよい学校であるように。
2018/11/20
スマイルタイムのあとで
子どもたちのよい行動を褒め、さらに良さを伸ばしていこうという思いからの【スマイルタイム】

先日のスマイルタイムで、私は次のように話しました。
「毎朝、しっかりとあいさつしてくれる女の子がいます。
  その子は、きちんと立ち止まり、お辞儀をして
  しっかりと目を見てあいさつしてくれます。」

その後の昼休みのこと、3年生の女子が校長室に来ました。
そのときのやり取り。

 −「校長先生、スマイルタイムで言った女の子は誰ですか?」
   私「一人ではなくて何人もいてくれていますよ。」
 −「そのなかに私は入っていますか?」 
   私「もちろんです。〇〇さんも入っていますよ。
      いつも上手にあいさつしてくれていますもの。」

その後、その子は満面の笑顔で校長室を後にしました。
真剣に問いかけるその子の姿、かわいいなあと思いました。
子どもたちはスマイルタイムを心待ちにし、とてもよく聴いています。
子どもたちはみんな、大切な人には自分のことをみてほしい、
そして、褒めてほしいと思っているのです。

学校は自己有用感を育む大切な場所。
誰かの役に立っている、自分が必要とされている、と感じる場面があれば「意欲」が出てきます。
しっかりと子どもを観て、褒めるべきところをきちんと認め、
指導すべきところをきちんと指導していくこと。

学校は、日々の学習に落ち着いて取り組むとき。充実の秋。
2018/11/18
ロンググッバイ
中島京子『長いお別れ』 今年の夏に読んだ本のなかの一冊。

「長いお別れ」という題名、
年老いた父との永遠の別れを言っているのだと思っていたのですが、
実はアメリカで認知症を「ロンググッバイ」と呼ぶことを知りました。
少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく・・・。

“この人が何かを忘れてしまったからといって、
   この人以外の何者かに変わってしまったわけではない。”

「介護」も「認知症」も「施設」も「死」・・・も不幸ではなく、
あたりまえにそこにあって、幸せもそのなかにあるのです。

以前に、荻原 浩 『明日の記憶』 を読んだときと同じく、
この作品に出あえてよかったと思っています。
実家の高齢の父母のことを考えたりして・・・。
久しぶりに顔を見に行きました。
2018/11/14
もみじ
紅葉狩りの季節。
関西では、例年11月中下旬からが見頃でしょうか。
みなさんは、どこの紅葉がお気に入りですか?
東福寺、光明寺、源光庵、南禅寺、永観堂、・・・
滋賀では日吉大社、石山寺、比叡山、永源寺、鶏足寺・・・名所はたくさんあります。
私は、山科の毘沙門堂がお気に入り。「赤」が違うと言うか、鮮やか。

紅葉は「こうよう」とも読みますし、「もみじ」とも読みます。
「もみじ」は楓(かえで)というイメージですが、そればかりではありません。
漆紅葉(うるしもみじ)、柿紅葉、満天星(どうだん)紅葉、合歓(ねむ)紅葉なども。
また銀杏黄葉、白樺黄葉と書いて(いちょうもみじ)(しらかばもみじ)と読ませます。
「もみじ」は、黄葉(もみじ)でもあるようです。

万葉集に出てくる「もみじ」は黄葉なのです。
万葉人が暮らした大和の国は、秋になると黄色や褐色になる落葉樹が多かったと言います。
都が京都に移ってからは、紅く色づく楓などの木々が多く、古今集をはじめ「紅葉」が登場するのです。
それ以降、もみじと言えば「紅葉」を指すようになったとか。

朱を流す紅葉の下の湧き清水

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