校長室より

2019/01/04
新しい年
新しい年、2019年が始まりました。
胸いっぱいに今年の空気を吸い込んで、「さあ!」なんて気合いを入れる。
気持ちが一瞬カチーンと緊張するくらい気合いを入れる。
今年、皆様に心地よい緊張感がありましたでしょうか?
(などと聞かれると、ちょっとイヤだとお感じの方もおられるでしょうね・・・すみません。)

「なんとなく 今年はよいことあるごとし 元日の朝 晴れて風なし」(啄木)
皆さまにとって今年はよいことがたくさんありますように。

平成30年度はあと3ヶ月。
私が年頭に誓ったのは「挑戦する今年!」です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2018/12/21
2学期終了
2学期が終わりました。

笑顔いっぱいで下校していく子どもたち。
満足感、そして充実感を感じた2学期だったのではないかと思います。

「校長先生、さようなら。」「よいお年を!」と
声をかけてくれる子がたくさんいました。

新しい年に、また笑顔で再会できるのを楽しみにしています。

2学期、ありがとうございました。
2018/12/18
つながること
「いじめ=弱い者いじめ」と認識していたのは、過去のこと。
今は、[いじめ防止対策推進法]でその定義がされています。
いじめようとか意地悪やいたずらをしてやろうという気持ちが全くなくて、
遊びのつもりであっても、また何も自覚しないでしていることでも、
さらには善意のつもりでしていることであっても、
ある子どもの心や体が傷ついたり嫌だなと感じたりしたら、
それはいじめだということ。

法律があろうとなかろうと、いじめはだめです。
子どもの感覚や価値観はそれぞれ違うので「そんなことが嫌だったの?」、
「知らなかった、自分なら平気なのに」「楽しいことなのに」・・・ということもあります。

社会生活を営む上で、自分の思いどおりにならないことがあって当然です。
学校は、教科学習や特別活動などを通して学び、成長する場。
同時に、集団のなかで自分の思いどおりにならないことに
どう折り合いをつけて受け入れていくか、どう克服していくかを
学ぶ場でもあります。

学力や運動能力等も個人差があり、
価値観も生活習慣もさまざまな子どもたちがいるなかで、
子どもたちが(大人も)心折れずに、
いろいろな人と豊かにつながっていくことをめざしていくのです。
2018/12/13
オレンジリボン
オレンジリボンは、児童虐待防止運動のシンボル。
子どもの権利条約のなかで主なものは次の4つ。
1生きる権利 2育つ権利 3守られる権利 4参加する権利

虐待というと、しつけと称して子どもに暴力を振るうイメージが大きいのですが、
虐待として通告されるなかで最も多いのは、
上の権利を十分に保障されない養育環境におかれることです。
いわゆるネグレクト。

力で押さえつけて言うことをきかせようとすることは
今の社会では許されません。
年配の人が「わしらが子どもの時は・・・」とお話しされることもありますが、
社会に人権尊重の意識が育っていなかった時代のこと。
以前はどこでもあったようなことでも、
それが通用するものではないということを
理解しておかないといけないでしょう。

「子どもは親の背中を見て育つ」ことは、今も昔も変わりません。
私たちが大人としての、また、親としての自覚のもとに
やるべきことを行うことは当然のことだと考えます。
2018/12/10
鳥の目・虫の目・魚の目
前回、「鳥の目」と「虫の目」が必要、と書きました。
(似たものに「木を見て森を見ず」「森を見て木を見ず」などがありますね。)

先の2つに「魚の目」を加えて、
物事を見るときに使いたい「3つの目」とされることもあります。

全体の把握は、鳥の目。「高いところから全体像を把握する。」
部分の把握は、虫の目。「足元を見つめ直す、課題に対して要因分析をする。」
流れの把握は、魚の目。「時代の変化・潮流を感じ取る、流れを見る。」

常に3つの目を持っていたいものです。
2018/12/07
集団の教育力
学級や学年の単位は大事です。
音楽会や運動会の取組み等、子どもたちと教職員が一生懸命努力し、
大きな事を成し遂げる様子はとても尊いことですし、
校長として涙が出るほどうれしいものです。
(学校だよりにもそのように書いています。)

集団の教育力の大きさは、私自身が身にしみて理解していますし、
今後も大事にしていくべきものであると強く思っています。
多くの教員にとっても、
喜びや充実感を感じる指導場面であることは間違いありません。

一方で、集団になじめない子どももいます。
その子たちにとっては、ことあるごとに集団への適応を求められることが
息苦しくなっている可能性もあります。
もちろん、「友達が多い」「みんなと仲よくできる」等は長所として褒めるといいのですが、
「友達が少ない」「一人でいるのがすき」等が悪いかと言えば、そうとは限りません。

学級の仲間のつながりを深めることはとても大切です。
ですが、私たちはそういう子どももいることを忘れてはなりません。
私たち教員(大人)には、「鳥の目」と「虫の目」が必要です。
視野をひろげ、視座をあげる!
2018/12/05
人権週間 12/4〜12/10
明治以降、私たちは「一人ひとりは違うこと」や
「その中でお互いを尊重すること」の大切さに気づいてきました。
そして人への思いやりや違う価値観の人同士がともに生きることの大切さに気づき、
人を排除したり差別したりすることはいけないことだと学んできました。
そして、それは私たち一人ひとりの努力によって成り立つということも、
一定浸透してきているように思います。

しかし、平成28年度の滋賀県人権に関する意識調査(下のグラフ)
の結果を見てもわかるように、
人権が尊重される社会の実現に向けての考え方で、
過去10年間で「なりゆきにまかせる」「特に考えていない」と
回答している人の割合が増加し、
「自分も実現に向けて努力したい」という回答の割合が大きく減ってきています。
格差社会、自己責任社会の中で、一人ひとりの努力で
人権尊重の社会を作っていこうということにまで
意識や行動が結びつかないような余裕のなさが伺えます。

子どもたちの社会も同じではないでしょうか。
学力や学校間格差についてやたら競争をあおる風潮、将来の職業選択への不安、
自分さえよければいいという雰囲気の中で、心ない言葉が飛び交うことも珍しくありません。
ネット上でもそういう言葉が横行している現状もあります。
たとえそれが少数であっても、
そのような言葉が飛び交う空間では、正しい人権意識が育まれにくいものです。
子どもは特に、現実と仮想空間との棲み分けがうまくできません。
ですから、これまで築いてきた人権文化を後退させるような言葉や態度には、
大人が毅然とした態度で指導していくことが必要です。

48-1.png

2018/12/02
人権を学ぶ
公共の電波を使った放送や公の場での言葉遣いに敏感な時代がありました。
その時代、放送禁止となった歌も多くありましたし、
放送禁止用語辞典なるものがあって、
放送で使ってはならない言葉や違う言い回しなどが徹底された時期でした。

差別を助長しかねないことについて、みんなで規制しようとしてきたことは、
その当時にあった人権意識を変えるのに一定の役割を果たしてきた部分もあります。
反対に、表現の自由を奪われたことや、
一部の思想を押しつけられたのではないかという批判もあります。
どちらが良い悪いではなく、大事なことは社会に自由な発言を尊重しながらも
差別をなくそうという意識が定着したかどうか。

社会の人権意識が育ってくれば、禁止しなくても言ってはいけないことは言わないし、
相手の気持ちを考えたら軽々と言えないことなどいくらでもあります。
これまでの様々な取組や教育を通して、
私たちは今の社会の人権意識を育ててきたはずです。
しかしながら、ヘイトスピーチやSNSなどで
明らかに差別にあたるような書き込みがある現実をみると、
まだまだ成熟した社会とは言いがたい現状があるのも事実です。
だからこそ、人権を学ぶということを続けていかなければならないのです。
2018/11/28
言葉を磨く
言葉はその時々に風のように過ぎていきますが、
いつまでも消えずに心に残り続けるものもあります。
自分を勇気づける言葉であったり、傷つけられた言葉であったり。
他の人にはそれほど記憶に残らない言葉でも、
自分にとっては生き方にかかわる重要な意味を持つものも多くあります。
そうだとするなら、やはり一言一言には責任が伴います。

子どもたちはまだまだ発達途上ですから、
思ったこと、感じたことなど、そのまま言葉にして相手を傷つけてしまうことがあります。
そのとき、大人が立ち止まらせて、その言葉の重みや
相手がどのように受け取るか想像することなどを教えていくことが大切です。

人を元気づけるのも傷つけるのも言葉です。
植物が光を浴びて育つように、人は言葉を浴びて育ちます。
普段からきつい言葉が飛び交うなかで過ごせば、心は不安定になります。

親子だからといっても、言ってはいけない言葉は当然あると思います。
子どもの時に言われたことがずっと心にひっかかって、
大人になってもその感覚が抜けないということもあるかもしれません。

そんなことを思えば、大人が正しく学び、正しく言葉で伝える責任はとても大きいといえます。

私たち大人がきちんと認識し実践していくこと。
子どもたちに毎日かかわる者として、特に注意していなければならないことです。
2018/11/26
いのちの旅
『葉っぱのフレディ −いのちの旅−』 レオ・バスカーリア 童話屋

昔、友人からもらいました。
私が手にしたときよりちょっと遅れて、絵本としては異例の売れ行きをみせました。
この本をくれた友人の感覚に鋭さを感じたものでした。

原本は1982年にアメリカで出版されました。
アメリカの著名な哲学者バスカーリア博士が書いた、ただ一冊の絵本。
「この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと、
 死について的確な説明ができない大人たち、
 死と無縁のように青春を謳歌している若者たち・・・へ」とはバスカーリア博士から。

扱うテーマは、「死」「命」です。
「死」は自然の循環のなかの1コマであり、「命」は永遠なのだ。
という作者のメッセージが静かな語り口からしみじみ伝わってきます。

フレディが葉っぱとして生きた間、
彼を満たしたのは美しい日々の記憶であったり、
仲間とかわした言葉や誰かの役に立った記憶だったり。

そういうことを積み重ねていられたら・・・と思います。

- Topics Board -