校長室より

2019/02/14
回り道、寄り道
親として子どもを思う気持ちはどなたもきっと強くお持ちのことと思います。
「我が子には辛い経験はさせず、また、回り道や寄り道をさせることなく、
健やかに成長してほしい」 親として考えるのは自然なことだと思います。

子どもたちの成長を少し長い目で考えたとき、
一人の子どもに成功体験ばかりが続くということはまずあり得ませんし、
その子にとってのよい環境が将来にわたってずっと
用意されていくということも考えにくいことです。

たとえば、将来、子どもが就職したとして、親が子どものために
よい上司、よい顧客、よいパートナー等を用意してやることはできません。

子どもの頃から少しずつ身に付けていかなければならない力。
いろいろな人とかかわりを持ち、時には泣いたり怒ったりしながらも、
我慢をしたり自分の役割や責任を果たしたりしていくこと。

それは、思いどおりにいかないことがたくさんあるなかで獲得していくものです。

親として大人として、できることははっきりしているように思います。
子どもに回り道や寄り道をさせないようにするのではなく・・・。
2019/02/07
インナーピース
若い世代の輝かしい活躍。
全米オープンに続き、全豪オープンも制覇した大坂なおみ選手。
大きな感動とともに喜び、明るさ、元気さ、かわいらしさ・・・といったものを届けてくれました。

インナーピース。大坂選手が口にした言葉です。
直訳すれば「内側の平和」ですが、「平常心」といったところでしょうか。
心が穏やかなときにいいプレーができるのだと。

試合中、悔しさのあまりラケットを投げる場面もあったといいます。
また、後ろを向いて気持ちを立て直す瞬間も。

心の成長と技の成長。
ずば抜けた技術があっても、心を磨くことなしには
それは十分に発揮できないというのは真実であるように思います。

わずか5年で世界ランキング1位に上り詰めた大坂選手に、人の成長の可能性を垣間見ました。
その成長のために自分の才能を引き出す「インナーピース」の維持を
日々、鍛錬していることに一層の感動を覚えます。
そういえば大坂選手のコメントは自然体で、謙虚で、かわいらしいと評判です。
言葉はその人を表すのです。
2019/02/01
金の斧・銀の斧
イソップ童話。子どもの頃、好きでよく読みました。
木こりが誤って自分の使っていた斧を湖に落としてしまいますが、湖の精が現れ、
金の斧、銀の斧をみせながら「あなたが落としたのはこの斧ですか?」とききます。
木こりは、最後に示された鉄の斧を自分のものだと言います。

幼かった頃、金の斧も銀の斧ももらえてよかったなーと思いながらも、
私欲に走らず正直に生きることの大切さを教えられたように思います。

今、この年齢になって思うことは、
「木こりにとっては、自分が普段から使っていた斧こそが、
 金の斧や銀の斧よりも本当にほしかったのだろう。」ということ。
職人である木こりは、周りからみればごくありふれた、自分が日々使っている斧が
何より大切なものであったのだろうと思うのです。

本校昇降口前の落とし物、その数は少なくないと感じています。
トレーナーや手袋、靴下、メガネ・・・いろいろ・・・。
その子その子に馴染んだものはあると思います。
身のまわりのものを大切にする心も、子どもたちに伝えたい心の一つです。
2019/01/24
耐雪梅花麗
雪に耐えて梅花麗(ゆきにたえてばいかうるわし)。
(厳しい雪に耐えてこそ、可憐に匂い立つ梅の花は美しく咲く。)
これは、西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、数年前に引退した
プロ野球広島東洋カープ 黒田博樹投手が座右の銘にしたという名言。

日本のプロ野球・メジャーリーグで大活躍した黒田投手は、
高校時代には一度もレギュラーにはなれませんでした。
控え投手として、来る日も来る日も主にバッティング練習用のピッチャーをしていたと言います。
決して恵まれた高校球児とは言えず、苦しい3年間があったようです。
その時代があって、「苦しまずして栄光なし」、
「厳しい逆境に耐えていれば、いつかは道がひらける」の考え方や生き方が身に付いたのです。

私の2019の誓いは、始業式で子どもたちに話したとおり、「挑戦する今年!」。
毎日の「今、今、今・・・」が未来の自分を育てていくのです。
子どもたちに負けないよう、がんばります。
2019/01/16
学びの福袋
年明けの新聞コラム欄で、
「最近は図書館で福袋を用意するところが増えている」と紹介されていました。
表紙が見えないように包装し、未知の本との出会いを誘う取組みです。

本の福袋が子どもたちの世界をひろげると考えれば、
学校の学習は子どもたちにとって「学びの福袋」かもしれません。
学校での学習をとおして、子どもたちは様々な学習対象と出会っていきます。
その中から子どもたちは興味・関心を高めていきます。
子どもたちが夢中になるのは、その出会いのほんの一部かもしれませんが、
それでも価値のある様々な学習対象と出会うことで、
子どもたちの世界はひろがっていくのです。

そのためには、私たち教員が、価値ある学習対象との出会いを
意図的に提供していくことが必要です。
「学びの福袋」を用意すること。
自分の世界をひろげ、成長していく・・・。
それが生涯にわたって学び続けることにつながっていくのです。
2019/01/07
あたりまえのことをあたりまえに
これは、元大津市教育長の澤村憲次先生がくり返しお話しになったことです。
あたりまえのことがあたりまえにできることはすごく大切なことです。
そして、それを常に積み上げていくことは、かなり難しいことだと認識しています。
一人ひとりが自覚をもって生活していくということですから。

私は、この澤村先生の言葉を言い換えて使わせていただいています。
それが『愛情をもって誠実に』、そして、
「やさしいけれど甘くない。きびしいけれど冷たくない。」です。

澤村先生は、いつもおだやかでいろいろなことに目と耳と心を配られ、
時をとらえて私たち指導主事(当時)にもお声がけをしてくださいました。
重厚なイメージで必要なこと以外はあまりお話しになりませんでしたが、
でも、しっかりとみていただいているという感覚がいつもありました。
それが「愛情」だと思います。

ですから、たいへん忙しい日々の中でも、私たち指導主事には常に【安心感】がありました。
それだけに市教委での澤村先生は、私にとってたいへん「こわい」先生でした。
教育長室に報告にあがるたび、私自身の薄っぺらさや愚かさが露呈しました。

今も私は澤村先生に様々なことを教えていただいています。
これからも、あたりまえのことがあたりまえにできるように精進いたします。
2019/01/04
新しい年
新しい年、2019年が始まりました。
胸いっぱいに今年の空気を吸い込んで、「さあ!」なんて気合いを入れる。
気持ちが一瞬カチーンと緊張するくらい気合いを入れる。
今年、皆様に心地よい緊張感がありましたでしょうか?
(などと聞かれると、ちょっとイヤだとお感じの方もおられるでしょうね・・・すみません。)

「なんとなく 今年はよいことあるごとし 元日の朝 晴れて風なし」(啄木)
皆さまにとって今年はよいことがたくさんありますように。

平成30年度はあと3ヶ月。
私が年頭に誓ったのは「挑戦する今年!」です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2018/12/21
2学期終了
2学期が終わりました。

笑顔いっぱいで下校していく子どもたち。
満足感、そして充実感を感じた2学期だったのではないかと思います。

「校長先生、さようなら。」「よいお年を!」と
声をかけてくれる子がたくさんいました。

新しい年に、また笑顔で再会できるのを楽しみにしています。

2学期、ありがとうございました。
2018/12/18
つながること
「いじめ=弱い者いじめ」と認識していたのは、過去のこと。
今は、[いじめ防止対策推進法]でその定義がされています。
いじめようとか意地悪やいたずらをしてやろうという気持ちが全くなくて、
遊びのつもりであっても、また何も自覚しないでしていることでも、
さらには善意のつもりでしていることであっても、
ある子どもの心や体が傷ついたり嫌だなと感じたりしたら、
それはいじめだということ。

法律があろうとなかろうと、いじめはだめです。
子どもの感覚や価値観はそれぞれ違うので「そんなことが嫌だったの?」、
「知らなかった、自分なら平気なのに」「楽しいことなのに」・・・ということもあります。

社会生活を営む上で、自分の思いどおりにならないことがあって当然です。
学校は、教科学習や特別活動などを通して学び、成長する場。
同時に、集団のなかで自分の思いどおりにならないことに
どう折り合いをつけて受け入れていくか、どう克服していくかを
学ぶ場でもあります。

学力や運動能力等も個人差があり、
価値観も生活習慣もさまざまな子どもたちがいるなかで、
子どもたちが(大人も)心折れずに、
いろいろな人と豊かにつながっていくことをめざしていくのです。
2018/12/13
オレンジリボン
オレンジリボンは、児童虐待防止運動のシンボル。
子どもの権利条約のなかで主なものは次の4つ。
1生きる権利 2育つ権利 3守られる権利 4参加する権利

虐待というと、しつけと称して子どもに暴力を振るうイメージが大きいのですが、
虐待として通告されるなかで最も多いのは、
上の権利を十分に保障されない養育環境におかれることです。
いわゆるネグレクト。

力で押さえつけて言うことをきかせようとすることは
今の社会では許されません。
年配の人が「わしらが子どもの時は・・・」とお話しされることもありますが、
社会に人権尊重の意識が育っていなかった時代のこと。
以前はどこでもあったようなことでも、
それが通用するものではないということを
理解しておかないといけないでしょう。

「子どもは親の背中を見て育つ」ことは、今も昔も変わりません。
私たちが大人としての、また、親としての自覚のもとに
やるべきことを行うことは当然のことだと考えます。

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