放課後の時間帯に、たわいもない会話を教頭先生たちと話しているとき、13年前にA中学校に勤務していたときの同僚のK先生の娘さんが、瀬田中学校の保護者にいることを知りました。偶然が重なって知ることとなり、とても驚きましたが、自分がずっと願っていたことが叶うのではという思いがその時わいてきました。 K先生は体育の先生で、2年生、3年生と同じ学年で席を隣にし、担任としてやんちゃな学年の生徒の相手をし、部活もバスケ部で一緒に顧問を務め、生徒に交じって一緒にディフェンスをしたこともありました。K先生は山形県出身で、ある時イナゴの佃煮を勧められ、拒否する自分に「エビとおんなじやで」と言ってなお勧めてこられましたが、「ほなら、エビを食うし、あえてバッタは食べへんし」と丁重にお断りしたこともありました。仕事を手伝ったらお礼にとお酒ももらったりもしました。 その同僚だったK先生は、その学年を卒業させた年度終わりに退職されました。K先生が3年生の担任をしていたときは、日に日に弱っていかれる姿がありました。2階の職員室までの階段をつらそうにゆっくりと上がっていかれる姿を今も覚えていますが、3年担任として、クラス全員の進路が確定するまで頑張るという強い意志が見えました。卒業式も、気力で無事に終えました。そして退職され、その後再入院となり、お亡くなりになりました。 お通夜で、K先生が亡くなられたことが受け入れられず、とても悲しかったです。その時にK先生の娘さんを見かけました。小さな赤ちゃんを抱いている姿を見て、またつらい思いをしました。たくさんの卒業生がK先生の別れに訪れていました。 A中学校に転勤して2年間、K先生と同じ学年で楽しく仕事をさせてもらいましたが、K先生が病と闘いながら仕事をされていることは全く知りませんでした。知っていれば、もっと自分にできることがあったのではないかと今も後悔しています。イナゴの佃煮も食っておけばと、それも軽い後悔の一つです。 それから7年間A中学校に勤務し、転勤し管理職になった頃、K先生に色々報告をしなければと思い、お墓参りをしたいとずっと願っていましたが、かなわず今に至っています。 けれども、お通夜の時に見かけたK先生の娘さんが瀬田中学校の保護者であること、通夜の時に抱いていた赤ちゃんが本校の生徒であることも知り、是非会ってお話をしたいと思い、学期末の3者懇談会の後、担任に帰りに校長室によってもらうよう伝えてくれと頼んでおきました。K先生の娘さんとそのお子さんは、なぜ校長室によって帰るか、理由を聞かされていなかったので、たいへん戸惑っておられました。「なんで校長室に親子で『呼び出し』なん?」って思われたことでしょう。なぜ来てもらったかを説明し、自分の思いを伝えることができました。K先生がくれた名前の書かれているファイルを見せ、今も大事に使っていることも話しました。当時のK先生との思い出も話すことができました。こうしてお出会いし、お話しできたことがとてもうれしくて、どこかでK先生が微笑みながら見てくれているのではないかと思いました。 何かの縁でこうして会えたことに感謝し、瀬田中に転勤しなければ絶対に起こらなかったこの出会いに幸運を感じ感謝しています。自分に起こる何事にも、意味があるのだと感じています。瀬田中学校に自分が来た理由の一つに、この出会(再会)があったんやと思いました。
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