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■ 1年生学年通信2024. 5.28

 1年生の学年通信にタイムリーでいい内容が書かれていましたので紹介しておきます。

 「中学生になって2ヶ月が過ぎようとしています。入学当初、「中学生になったから、新しい気持ちで過ごすんだ。」という思いがにじみ出ている人も多く見られ、授業をはじめ色々なことに積極的取り組んでいる姿に「頼もしいな」と思うことがたくさんありました。例えば、学級目標作成で取り組んでいる人、まのまるっと教室で積極的に質問をしている人、当番以外のことを一緒に手伝っている人、隣の人が物を落としたときにすぐに拾ってくれる人など。
 
 ただ、最近の様子をみていると、多くの人が頑張っている分、少し気持ちのゆるみが見られる人も出てきているように感じます。例えば、朝学習の時間。8時25分から始まりますが、25分になってから準備をしている人がいます。時計を見て自分から動かないといけないのですが、先生がきてから動いているようなこともあります。「がんばろう」「やるぞ」という気持ちを持っている一方で、「これくらいはいいか」「まあいいや」と自分の行動を甘やかす気持ちが少しずつ生まれていないでしょうか。言葉遣いもそうです。「親しき中にも礼儀あり」ということわざにもありますが、友達だからという理由で、相手のことを考えず言葉を遣っている人もいます。今一度、自分自身の行動を見直してみましょう。」

 その上で、宮沢章二さんの「行為の意味」という作品が紹介されていました。

      行為の意味    
             宮沢章二

 ーあなたの<こころ>はどんな形ですか
 と 人に聞かれても答えようがない
 自分にも他人にも<こころ>は見えない
 けれど 本当に見えないのであろうか

 確かに<こころ>はだれにも見えない
 けれど<こころづかい>は見えるのだ
 それは人に対する積極的な行為だから

 同じように胸の中の<思い>は見えない
 けれど<思いやり>はだれにでも見える
 それも人に対する積極的な行為なのだから

 あたたかい心が あたたかい行為になり
 やさしい思いが やさしい行為となるとき
 <心>も<思い>も初めて美しく生きる
 ーそれは 人が人として生きることだ

 お互いの「こころ」は見えないものだから本当のことはわからないのだろうと思います。でも、相手の「こころ」が見えないからこそ、「こんなことをされたから悲しいな、うれしいな」と自分の「こころ」と照らし合わせて相手の「こころ」と見ていくことが大切なのではないでしょうか。そうして相手の「こころ」を見ていくために、私の「こころ」を使っていくことで、その「こころ」が「こころづかい」として相手に見えるものになるかもしれません。