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学校の沿革

平野小学校はその前身となる松本学校、峻明学校が1876年(明治9年)に設立されました。 のちに、大津東尋常小学校、平野国民学校と名前を変え、1947年(昭和22年)に現在の大津市立平野小学校という名称となりました。1973年(昭和48年)に校舎が改築され、現在の姿になりました。1970年代後半から校区の宅地化が進み、湖岸に大型のマンション等も建設され、ピーク時には児童数1500名を越えて県内でも有数の超大規模校になりました。現在も1000名程度の児童数で大規模校です。校区には、JR琵琶湖線の膳所駅や京阪膳所駅、名神大津ICなどがあり、交通の便が大変良いところです。また、大型商業施設や、松尾芭蕉の墓所がある義仲寺などもあります。最近では、宮島未奈さんの「成瀬は天下を取りにいく」の舞台としても知られる「ときめき坂」にある“ときめき小学校”です。1876年からかぞえて、今年で150年目を迎えます。

青い目のお人形

1973年(昭和48年)の改築の時、古い校舎の解体作業中に壁板の中から一体の 西洋人形が見つかりました。それは1895年にアメリカ合衆国から贈られた 「青い目のお人形」だったのです。不幸な戦争が始まり、敵対国アメリカから贈られたも のとしてその多くが廃棄させられた中で、当時の教師がそっと壁板の中に隠したと言われています。 今では、滋賀県に本校以外にあと一体あるだけだそうです。(現在は大津市立歴史博物館に貸 し出され、年に1回里帰りしてきます。)

教育理念

『人は人によりてひととなり得べし』

子どもたちが笑顔輝かせるため、教職員が笑顔で教育活動を進め、子どもたちの自尊感情や自己指導力を高めていく

学校教育目標

かがやけ 平野の子どもたち

「人と関わり 学べ!遊べ!未来にときめけ!

めざす子どもの姿

か:考える子ども<知的側面>

が:がんばる子ども<社会的側面>

や:やさしい子ども<情意的側面>

け:元気な子ども<身体的側面>


平野小学校の校歌

本校の誇れる文化財として校歌も挙げられます。富士山などの作詞で知られる巌谷小波先生、作曲は岡野貞一先生によるもので、岡野先生については日本の有名な唱歌を多数作られている方として知られています。


平野小学校 校歌

          巌谷小波 作詞
          岡野貞一 作曲

前に湖ありさざなみの
夜さえ休まず岸を打つ
そのいそしみにおとらじと
絶えず 進まん 学びの道を


後ろの山はときわぎの
冬をよそなる深みどり
霜をおそれぬ心もて
絶えず 励まん 教えの庭に


花はさけども地にたれて
つるは高枝の末までも
上らでやまぬ藤のごと
絶えず たどらん 聖のあとを

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